昨夜はやっぱりサッカーでした。

いつもより早く帰り、食事も早めに摂って

19時よりテレビの前に座りこんだ。

国歌斉唱、倉木麻衣さん とても緊張気味でした。

長谷部選手 中沢選手 の挨拶も会場をひとつにした。

まあ始まる前から、ひとつにまとまっていたのだろうが

そこは浦和レッズお得意のビジュアルが欲しかったですね

全員でスタンドからメッセージなんてしたら、かっこよかったな。

サッカーでこんなに盛り上がるなんてW杯以来ですね。


それに引き換え、昔からのプロ野球は何やってんだ。

サッカーは知らなくても、被災地のお年寄りは野球は知っている

特に、被災地は野球が盛んな地域が多いと聞く

今こそオールスターを開催するのだ。きっと無理でしょうが

開催時期でごたごたしている時間があったのだから、

その時期に準備すればオールスターチャリティゲーム

きっとできましたよ。サッカーでさえ出来たんだから


3月ももう終わりだ。

4月から新年度、娘も大学生になる。

そして、明日31日には、大学の生協主催で

推薦入学生を対象にした「新入生歓迎会」が行われるという

「友達出来るかな」などと小学生のような事を言ってはいたが

きっと新しい環境に不安があるのだろう

とりあえず行ってみると言っていた。


そういえば、私の時はどうだったかな

思い起こせば34年前、栃木の山奥から愛知県に進学した

荷物は送ったが、今のように流通は整備されてはいない時代

もちろん引越し業者などいない。

蒲団、衣服など最低限の物を送って、

足りないものは現地調達だった。

3月の末まで一度も大学へ行くこともなく進学した

大学には父親の運転で車で送ってもらった。

車は所有してはいたのだが、1100CCの初代カローラ

これではちょっと不安ということで、親戚から車を借りてきた

前の日には、私の記憶では最初で最後

家族で寿司屋に食事に出掛けた。


宇都宮インターから高速で岩槻インターまで

そこから国道16号で相模原 129号で厚木に行き

厚木インターから東名高速で豊田インターまでという行程、

いまなら、首都高行けばいいじゃん ということだが

父親は東京は行ったことないから走れない

みたいなことを言っていた気がする

休みながら、夜中走って朝方大学に着いた。

車内の会話などは覚えていないが

大学行くことの不安などまったくなく

これからの楽しみを期待していたのだろう


たぶん両親はすべての事をきっと覚えていただろう

死んだ親父から後で聞いた。

帰り道、高速のサービスエリアで両親は泣いたという

今になって、親の気持ちが少し判るようになってきた。

たぶん手を離れてうれしいような、

遠くに行ってしまい、淋しいような

そんな気持ちだったのかな・・


大学行って一ヶ月くらい経った

当時の体育学部の厳しい寮生活にやっと慣れた頃

親から電話があった。

「元気でやっているか」と一言

きっと甘やかされた私が気になったのだろう

その一言で一気に辛さと淋しさがこみあげ

涙が溢れ出てきた。親のありがたさが身に染みた


今の季節になると思いだされる出来事である