まず、どうでもいいけど大事な話からする。

 

 

 

お尻が大きい人が好きな人もいれば、

小さい方が好きな人もいる。

 

胸も同じ。

巨乳がいい人もいれば、

ペチャパイが好きな人もいる。

 

太ってる方が好きな人もいれば、

細い方がいい人もいる。

 

 

 

ここに対して、

「どっちが正しいか」なんて話にはならない。

 

 

ただの好み。

 

人それぞれ。

 

 

「お前はケツの好みが間違っている」なんて、

聞いたことがない。

 

 

せいぜい、

「へぇ、そういうタイプなんだね」で終わる。


 

なのに、不思議なことがある。

 

 

家事やお金の話になると、

急に「良い/悪い」が出てくる。

 

 

 

家事している=良い
家事していない=ダメ

 

稼いでいる=良い
稼いでいない=ダメ

 

 

 

さっきまで「好み」だったものが、

急に「評価」になる。

 

 

これ、何が違うのか。

 

 

結論から言うと、

「機能」と「価値」がごちゃ混ぜになっているからだ。

 

 

 

お尻の大きさは、

別にそれがどうであっても、

生きていく上で困らない。

 

 

だから、

ただの「好み」で済む。

 

 

 

でも、家事やお金は違う。

 

 

やらなければ、

生活が回らなくなる可能性がある。

 

 

つまり、

これは「機能」の話。

 

 

 

 

問題はここからだ。

 

 

この“機能”が、

いつのまにか“価値”にすり替わる。

 

 

 

 

本来はこう。

 

家事をする → 生活が回る
稼ぐ → 生活が回る

 

 

ただの手段。

 

 

 

 

でも現実はこうなる。

 

家事している=良い
家事していない=ダメ

 

稼いでいる=良い
稼いでいない=ダメ

 

 

ここで、

「機能」が「評価」に変わっている。

 

 

 

 

そしてこの評価が、

自己否定を生む。

 

 

 

「今の自分は稼いでいない」

「ダメ」

「自分はダメ」

 

 

 

この流れ。

 

 

 

 

でも、これってよく見るとおかしい。

 

 

家事をしていない状態と、

人としてダメかどうかは、

本来まったく別の話のはずだ。

 

 

 

 

ここに気づいたのが、

うつ病になって何もできなくなったときだった。

 

 

 

正直、

何もしたくなかった。

 

というか

体がフリーズしていた。

 

だから、

やらなかった。

 

洗濯も畳まずに

干したままのを着ていた。

 

 

 

 

でも、それで困るかというと、

別に困らなかった。

 

 

 

で、どうなったか。

 

普通に生きれた。

 

 

 

ここで思った。

 

「ん、別にやらなくてもよくない?」

 

今まで当たり前だと思っていたことが、

ただのルールだったと気づいた。

 

 

 

ここで起きていたのは、

「機能」と「価値」の分離だった。

 

 

 

やらないと“困る”ことと、

やらないと“ダメ”なことは違う。

 

 

困るは機能。

ダメは価値。

 

 

この二つがくっついたまま生きていると、

ずっと自分を責め続けることになる。

 

 

でも、

それが分離するとどうなるか。

 

 

 

家事をしていない

ただそういう状態なだけ

 

 

稼いでいない

ただそういう状態なだけ

 

 

ここに「ダメ」は入り込めない。

 

 

 

だから、

自己否定も発生しない。

 

 

 

必要ならやればいい。

 

 

 

でもそれは、

 

「良い人になるため」じゃなくて、

「生活を回すため」だ。

 

 

 

この違いは大きい。

 

 

 

ここが変わると、

世界の見え方が一気に変わる。

 

 

今まで「正しさ」だと思っていたものが、

ただの“機能的な選択肢”に見えてくる。

 

 

そして気づく。

 

 

あれだけ絶対だと思っていた「良い/悪い」も、

ただの思い込みだったのかもしれないと。

 

 

お尻の好みと同じように。

 

 

 

 

 

補足記事:

 

 

 

 

 

 

違和感の整理についてはこちら🥞

 

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