正直に言う。


私は、母にムカつく。




理由はシンプルで、

母はいつも「自分で考えようとしない」からだ。




分からないことがあると、
まず触ってみる前に聞く。

仕組みを見ようとせず、
「すごいね」「便利だね」で終わらせる。


そして、詰まったら私を呼ぶ。





イラついているのは「出来ない」からじゃない


私が腹を立てているのは、

母が不器用だからでも、年齢のせいでもない。




「考えるというプロセスを最初から放棄していること」

ここに反応している。




分からない → 調べる

触る → 試す → 失敗する




この一連を飛ばして、
いきなり「教えて」と来られる。




それを繰り返されると、
私はいつもフォロー役に立たされる。




私がイラッとすると、返ってくる言葉


そして、私が少しでも苛立つと、
母はこう言う。



性格が悪い

器が狭い


いつも怒ってばっかり


ももちゃんは内弁慶


甘えてくる



……本当にそうだろうか。




これは「性格」の問題じゃない


これは、

思考の深さが違う人同士が、近すぎる距離にいる問題だ。



考える人は、
考えない人の代わりに、
永遠に“思考”を肩代わりすることになる。



それが続くと、
優しさはすり減り、
説明は義務になり、
最後に残るのは疲労だけだ。





私は冷たくなったんじゃない


私は母を見下しているわけでも、
突き放したいわけでもない。


ただ、
同じ深さで関わるのをやめただけ


すべてを分かち合おうとするのを、
降りただけだ。




境界線を引くと、悪者にされる


考える側が距離を取ると、
なぜか「冷たい人」扱いされる。


でもそれは、
相手の役割を背負わなくなった結果だ。




最後に


私は、
考えない人に優しくできない自分を、
もう責めない。


それは性格の悪さではなく、
限界を知らせる感覚だから。




もう限界が来たから

身体も何も動かないんだ。


頭は動くけど。