忘れ物のファイルの事はひとまず置いて
中津へ向かいました。
お城アプリで城攻略!
何やってんねん😂
こじんまりしています。
黒田孝高(官兵衛、如水)が築いた城ですが
築城中にこの地を離れ、細川忠興に引き継がれました。
堀に周防灘の海水が引き込まれていることから
高松城、今治城と並ぶ日本三大水城の一つと言われています。
城全体が黒いので烏城かと思いきや
烏城のリストには入っていません。
↑くろかんくんとおっくん
くろかんくんはもちろん黒田官兵衛、
おっくんは享保2年に丹後宮津より入城した奥平家です。
中津は奥平昌高の時代に昌高自身が前野良沢に蘭学を学び、
シーボルトとも交流、
藩士たちに蘭日・日蘭辞書の編纂を命じました。
こうした背景から医療にまつわる資料が豊富に残されています。
余談ですが最後の藩主奥平昌邁(まさゆき)は
かなりなイケメンでした😅
おー!「ターヘルアナトミア」
解体新書の原本!
中見たい!
挿絵というか人体図見たい!
でも原本やから触られへん。
これを翻訳した「解体新書」は後ほど行く医家資料館にありました。
少し歩いて中津市歴史博物館へ。
蓮の花が咲き始めてました。
中津市歴史博物館は九州最古の近世城郭の石垣が鑑賞できる
石垣側をガラス張りにした博物館です。
歩き疲れたらここに入ってガラス張りの向こうの石垣をぼんやり眺めるのもいいですね。
ここには小さなカフェもありますよ。
さてここから福沢諭吉旧居へ。
紙幣が全面的に変わり
一万円札も「ユキチ」とは言えなくなります。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
学問のすゝめ
諭吉は自分の子ども、女の子であろうと男の子であろうと
差別、区別しなかったようで
等しく教育、運動をさせたといいます。
ただ男親、女の子の名前は綺麗な名前をつけたのですが
男の子の名前はテキトーだったようです。
初めて知って思わず笑ってしまいました。
↑勉強する諭吉くん
そんな諭吉も命を狙われる事もあったようです。
犯人はご近所さんでした😰
↑シラミ取りの石
奥さまもとても困っている人を家に上げ
シラミを取ってやりましたが、
取らせてくれたお礼にと握り飯を差し上げたそうです。
いやいやどんな人やねん。
不思議な感覚になって
福沢旧居を出ました。
ちなみに
中津城、中津市歴史博物館、福沢旧居
そしてこれから行く大江医家資料館、村上医家資料館、
そして行けなかった中津市木村記念美術館、自性寺大雅堂は共通割引チケットがあります。
時間が許せばこのチケットがあると便利です。
私たちも二つ行けませんでしたがこれを使いました^_^
では
つづく