先週の月曜日「水炊き長野」で会食しました。
お相手は数年前まで
大手建設会社を定年退職された後
某国立大学の建築科で教鞭をとられていたWさんご夫婦です。
実は私というより、私の父をよくご存知で
まだWさんが大阪勤務の頃、
父が若い頃から遊び仲間として集まっていた
デッサン、スケッチ、アートのグループに定年近くなって入られました。
なんだかこう書くと芸術集団のようですが
私も子供の頃土曜日になると行ってたのでよくわかっているんですが
単なる飲み会だったような気もします😅
良く言うと芸術サロン??かな??
私のような女の子がいてもヌードデッサンがあったり、
ガンガンお酒飲みながら芸術論を交わしたりというグループでした。
私が中学生となり行くことはなくなりましたので
Wさんはその後の所属です。
Wさんは浪人の頃福岡の予備校に一年通われていたそうです。
Wさんは千葉県の人ですが、
お父上が当時単身で福岡におられ、
せっかくなので地元を離れて浪人生活をすることにしたそうです。
その時にお父上に連れて行ってもらった水炊きのお店の味が忘れられず
今回福岡旅行をするのでと水炊きをご希望されました。
実は「水炊き長野」は私は初めてです。
Wさんご夫婦がおられるので撮影はひかえました。
お年がはっきりわかってなかったのですが
74歳!お若く見えます。
前日から来られて2泊3日の旅。
太宰府や親不孝通りなど浪人時代に訪れたところを
再訪されていたようです。
話は、芸術サロンの時の話、
そして仕事で1番アブラが乗っていた時の話。
とくにイランにそこで働く地元の人たちのための住宅を作るというプロジェクトの話はとくに面白かったです。
アメリカ、ドイツ、その他の国の住宅がつくられたのですが
アメリカ人の仕事は大雑把でその場でノコギリをひき
サイズが合わなければ少しカットするという・・🌀
ドイツ人はまず道具をきっちり揃えて並べ
きっちり採寸した材料を組み立て始める。
さすが仕事きっちりドイツだそうです。
日本はWさんの会社のみで
まず、設計通りの材料を日本で揃えて入国し
基礎から外壁、屋根までを一日で仕上げてしまう。
これには諸外国の職人が驚いたそうです。
イメージとしてはプラモデルをイメージしてもらえればわかると思います(若干違いますが)
日本人の計画性と実行性がここで発揮されたそうです。
そしてその後イランに数ヶ月居て帰国となりました。
が、当時イランからでは南回りで乗り継ぎも多く
東南アジアのどこかの国だったかと記憶しているんですが
ダブルブッキングになってしまい
それもイランで戦争が始まって出国する企業が続出し
とうとう東南アジアのそこで何泊かする羽目になって
ずっと社長とお酒飲んでたとか・・
バンカラやねー
そんな話が面白く、そして私の頭の中には
プロジェクトXのエンディングテーマが流れていました。
そんなWさんが定年前に始めた趣味は
蕎麦打ちと陶芸。
こねる作業、いわゆる菊練りは共通してるかも。
「蕎麦はね、自分で打ったほうがうまいんだよ、時間かかるけどね、打ちたて、切りたて、茹でたてって言うじゃない?」
「確かにそうですよね^_^」
「陶芸もね、いろいろ人づてにてお願いして窯元に行くんだよ、その辺の陶芸教室じゃあなくてね。結局ね、土だったり、釉薬だったり、窯だったり、凝り出したら欲しくなるんだよ。それを買わずに済まそうと思ったら窯元で何日か居らせていただくのが一番良いんだよ」
「さすが!逆転の発想ですね。」
「僕はね、その後信楽の窯元と仲良くなってしまってね、一年のうち何回か信楽に行くんだよ」
そしてWさん作のお皿を頂きました。
わざと釉薬をかけない部分を作り焼き上げ
その釉薬がかかっていない素焼きの部分に漆をかけた物です。
黒漆を塗って違う色の漆をかけたり、蒔絵をしたり
そして磨くと模様が出てきます。
見事やなー。
和菓子?
カルパッチョ?
創作料理は出来ませんがなんかちょこっと盛り付けるのに良いですね。
時々、関東の陶芸仲間とギャラリーで販売されるそうです。
そんな貴重な物を頂きありがとうございました。
Wさんご夫妻は翌日櫛田神社に行って帰ると言っておられました。
後日メールにて御礼を申し上げると
「なんだか、僕だけペラペラと長々と喋ってしまって妻に叱られました」と書いておられました。
でも話しはとても面白かったし
昭和の熱い漢たちの仕事ぶりを垣間見た気がしました。
Wさんいつまでもお元気で。
素敵な作品作り続けてください。
6月25日から28日まで大阪の西中島で
前述のサロンのグループ展があるそうです。
「来なくて良いよ、遠いから」とおっしゃっていましたが・・
詳しい場所がわからないんで、ハガキくださいとはお願いしましたが・・くださるかなぁ?