おそらく、私にとって


この年齢にならなければ全く理解や共感もできなかった本。


そのくらい私はぼんやり生きてきたと思う。


ありがたいことに。




人はみな大河の一滴である


「あきらめる」の語源は「あきらかにきわめる」


寛容


インナーウォー


応仁の乱と酷似する現代


励ましだけでは救われない魂




この本は1998年刊行された。


私はその時30代後半。


果たしてこの本に深く共感できたのだろうか。


60歳を過ぎて


死というものが目の前にぶら下がり始めたからこそ


くらいついて読めてしまう。


そしてこの本の一部が大学共通テスト(私の時は共通一次、近ごろまではセンター試験)の


国語で現代文として出題されたとして


果たして4つの中から選べと言われて答えが選べるのだろうか。


どれもそうかな?と選べない自分がいるのだろうと思う。




生老病死の苦


眞觀清淨觀(しんかんしょうじょうかん)

廣大智慧觀(こうだいちえかん)

悲觀及慈觀(ひかんきゅうじかん)

常觀常譫仰(じょうがんじょうせんごう)

 真実の眼、清淨なる眼、廣大なる智慧の眼、憐れ みの眼、慈しみの眼、観音を仰ぎ尊びなさい


こんな言葉はこの本には書かれてないが、なぜか法華経のこの一文が浮かんだ。


私はまだまだやな。


ちなみにこの法華経の一文は私の山梨県出身の祖母が


朝のおつとめとして毎朝抜粋をお経として唱えていたもので


いつのまにか私の頭のなかに入っていたもの。


こうしてネットで検索できるようになり


漢字の表記も見ることができたのです。


そして意味も。


そしてなぜか「大河の一滴」と符合する部分も。


私の頭の中にもいろんなもなのが残ってるんやね。


この歳になって生きてくる。


なかなかまだまだ悟れない業(karma)を持ち続けてる自分が居ます。


〜ちなみに私はなんら宗教にはハマってませんし、ハマる気持ちもありません


そこんとこヨロシク。


勧誘お断り!