「長男だから」「息子だから」で消えていった“自分”

「長男なんだから」
「息子なんだから」
「家族なんだから当然」

その言葉を、何十年も浴び続ける。

最初は違和感だったはずなのに、
いつしかそれが“当たり前”になっていく。


自分が答える前に、親が答える家庭

誰かに話しかけられた時、
本来なら自分で答えるはずなのに――

先に母親が答える。

「この子はこういう子だから」
「この子は大丈夫」
「昔から優しいから」

気づけば、
“自分の説明”を他人にされる環境が続いていく。

すると少しずつ、

* 自分で考える
* 自分で感じる
* 自分で言葉にする

その感覚が薄れていく。


親の主観が、自分の人格になる怖さ

長い年月、
親の価値観の中で生きていると、

親の意見が、
まるで“自分自身の考え”のように染み込んでいく。

* 我慢するべき
* 空気を読むべき
* 親を優先するべき
* 長男だから支えるべき

本当は違和感があるのに、
それを感じる前に“役割”が先に来る。

そして周りも、

「本人が好きでやっている」
「優しい性格なんだ」

そう勘違いしていく。

でも実際は――

長年、家族の空気に合わせ続けた結果かもしれない。


「好き」「嫌い」より先に役割を生きてきた

本来、人には感情がある。

* 嫌なものは嫌
* 疲れるものは疲れる
* 離れたい時もある
* 一人になりたい時もある

でも、

「長男だから」
「息子だから」

その言葉が強い家庭では、
自分の感情より先に、

“家族が求める役割”

を優先してしまう。

気づけば、

「自分は何が好きなのか」
「本当はどうしたいのか」

それすら分からなくなっていく。


周りには見えない“違和感”

外から見ると、

* 親を支えている人
* 面倒見の良い人
* 優しい人
* 我慢強い人

そう映るかもしれない。

でも本人の中では、

* 息苦しさ
* 圧迫感
* 自分の人生感の薄さ
* 常に誰かを優先する感覚

そんな違和感が積み重なっている事もある。


「自分の居ない家庭」

ふと考える。

この家庭には、
“本当の自分”は居たのだろうか――と。

居たのは、

* 空気を読む自分
* 波風を立てない自分
* 親に合わせる自分
* 支える役としての自分

だったのかもしれない。

本音を出す前に、
親の意見が先に置かれる。

そんな環境では、
少しずつ「自分」が消えていく。


それでも、本来の人生は「自分」で感じていい

親の主観ではなく、
周囲のイメージでもなく、

* 自分は何が好きか
* 何が苦しいか
* どこまでなら無理がないか
* 本当はどう生きたいか

そこを感じる権利がある。

長い間、
“役割”として生きてきた人ほど、

「自分の感覚を取り戻す事」

が、とても大切なのかもしれない。

違和感は、
わがままではなく――

“自分が消えていた事”に気づくサインなのかもしれない。

周りは
親のフィルター通して見てくるから
本来の自分が透明人間
親孝行がなんなのか
わからん



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