背負わされ続けた人生と、終わらない役割

継父が亡くなってから、
家の空気が大きく変わった。

俺に見せる顔と他の人に見せる顔の
ギャップが違いすぎて
困惑する

平気みたいな顔で周りに言うてるが

無気力になった

動かなくなっていく母

母は、何もしたがらなくなった。
外に出ない。
気力が湧かない。

口から出るのは、いつも同じ言葉。

「疲れた」
「しんどい」

働かないと
お金がお金が

でも休みたい

それが口癖になり、
家の空気を重く覆っていく。

その姿を見て、
頭をよぎる不安がある。

「このまま、認知症に近づいていくんじゃないか?」


そして、また“聞き役”にされる

母は、自分の不安や愚痴を話す。
私は、それを聞かされる。

説明される。
共有される。
相談という名で、投げられる。

気づけばまた、
受け止め役、支える役に戻りかけている。


でも、私はもう十分背負った

思い返せば、ずっとそうだった。

親は、自分たちの収入に加え、
息子の収入まで当たり前のように生活費に組み込んできた。

生活水準は下げない。
お金の管理はどんぶり勘定。

こちらが身の丈の生活を選んでも、
親は理解しない。


継父の生活水準に巻き込まれた日々

継父は知り合いを家に招き、
準備は母と息子が担う。

いらない車の維持費まで負担させられ、
理不尽だと思いながらも、飲み込んできた。


病気になっても、変わらなかった

継父は脳梗塞を発症した。
だが、生活習慣も金の管理も、どんぶり勘定のまま。

病院代、介助、気遣い。
逃げ場のない日々が続いた。


母の無気力は、突然ではない

今、母が無気力になっているのは、
突然の異変ではない。
依存的な生活
他人任せの判断
自分で考えなくていい環境

それが長く続いた結果、
「何もしない状態」が当たり前になっただけだ。

責めたいわけじゃない。
でも、現実としてそう見える。


私は、同じ道を選ばない

だからこそ思う。

このまま、
母の無気力まで引き受けてしまえば、
また自分が削られる。

私は、もうその役目を降りる。


運動と体力の話も、ここにつながる

仕事をするには、体力がいる。
体が弱れば、怪我をする。

継父の生活を振り返れば、
体を後回しにした先に何があるかは、はっきりしている。

だから私は、
誰に理解されなくても、
最低限、自分の体だけは守る。


問題は「認知症」より、「境界線」

母が認知症になるかどうか。
それは、医師の領域だ。

でも、はっきりしていることがある。

母の不安や無気力を、私が背負う必要はない。


それは、私のせいではない

母が動けなくなったのも、
無気力になったのも、
私の責任じゃない。

自分で段取りも組めない
俺抜きで話が進んで

俺にどうしたらいいの?
何のことだか

自分で決断できない事
やり始めて
こっちに投げられる
なんなんだ
昔からだ
のび太くんか

運動進めれば
何か目的ないと
買い物しながらやる?
お金かかるでしょ
食材
もう
そんなに買わなくて良いでしょ?

何かがおかしい

また、気をつかう

私がやるべきなのは、
治すことでも、背負うことでもなく、

巻き込まれない距離を取ること。

それだけだ。

「もう十分やった」

そう、自分に言っていい。


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