東京に私が託していたのは「新しさ」であった。

未来に向かっての夢を叶えるための何かを東京という都市が提供してくれるとずっと信じていたからだろう。

私にとっての近代とは即ち東京であったのだ。

1980年代にはバブル経済に酔い痴れる東京の都市空間を排徊しながら、ヒラヒラと宙に舞う一枚の布のように存在感のない建築をつくりたいと考えた。

もっと軽く、もっと透明に、もっと薄く、もっとフラットに……、土地から遊離し、表層のみを飾られた無数の記号のなかを浮遊するノマドのための建築を求めていた。

しかし21世紀を迎えてからの東京は、かつてのように魅力的な存在ではなくなった。

最早それは未来への夢を抱かせてくれる街ではなかった。

私が固執し続けてきた東京の建築は、見えない巨大資本の流れを可視化する装置に過ぎない。

そこには夢もロマンも感じることはできない。

それは近代が行き着いた終着駅の風景なのかもしれない。