ヨコハマポルシェ | DRIFTER

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~漂流者の日々徒然~

子供の頃からポルシェが好きだった。


出来るならいつかは手に入れたいと願っていたが流石に懐事情がそれを許さない。

だがもし仮に大金が手に入ったとしても今の僕はポルシェを買わないような気がする。それは僕の住む田舎町にポルシェは余りに似合わないから。

ポルシェはメジャーな高級スポーツカーだから日本中で見かけるけれど、どこで見ても風景から浮いているように感じてしまう。高性能スポーツカーとはある種そのように造られてはいるんだけれどね。


でも僕はそういう目立ち方をしたいわけでは無い。

ただし横浜で見るポルシェだけは違う。


横浜にはポルシェがとてもよく似合う。
あくまでもイメージなのかもしれないが車の醸し出す雰囲気と横浜の街の空気が違和感無くマッチしているのだ。だから僕がポルシェを買うとしたら先ずは横浜に引っ越してからということになる。


それと同じくその街に特別に似合っている(或いはその街にしか似合わない)車というのが存在する。


例えば夜の東京を疾走するランボルギーニ。無機質な都会の夜と前衛的なデザインの絶妙のマッチング。逆に言い換えればランボルギーニは東京にしか似合わない。


京都にはジャガーがとても似合っていた。落ち着いた雰囲気の街並みとクラシカルなデザインのサルーンはコンサバティブではあるけれど、「外しが無い」というのが京都の魅力であるわけだからまさにぴったりの組み合わせと言えよう。


フェラーリは日本のどこにも似合わない気がしている。偏見だとは解っているがフェラーリは精神的田舎者の象徴に見えてしまう。強いて似合いそうな場所を挙げるとすれば軽井沢かな?


これらの外国車と違って我らが日本車(一部例外を除く)は、その台数の多さも手伝ってかどこの都道府県のどこを走っていようともさしたる違和感は無い。まあ、見る側の心情も加味されてのことではあるが、存在そのものが当たり前になっているというか存在感が良くも悪くも希薄であるというか・・・


ところがひとつ例外がある。

それは日本のストレンジタウン「NAGOYA」で見かけるトヨタクラウン。


愛知はトヨタのお膝元という事情を除外しても何故か名古屋にはクラウンが凄くハマって見える。


元々クラウンは代々国内専用に設計されており、「日本的車造り」の象徴でもあり日本的ヒエラルキーの頂点に立ってきた車である。つまりは「ザ・日本的価値観」の権化なのである。それは「いつかはクラウン」というCMの名コピーがあったことからも理解できる(ただし昨今はセルシオ等の更なる国産高級車の登場や、時代性を背景にした小型車ブームなどもあってその日本的ヒエラルキーは崩壊の一途を辿ってはいるけれど)。


これらの理由から僕が思う「ある意味日本的ごちゃ混ぜ文化」の集大成の地である名古屋と、日本的車造りの象徴であるクラウンの相性がとても良いという事実を納得いただけたのではないかと思う。


そして名古屋を走るクラウンのボディカラーは必ず「白」であり、おまけに自光式ナンバー(今時!)を付けていなければならない!


そうでなければ正しい「ナゴヤクラウン」とは呼べないのではなかろうか?!どうですかお客さん!?


ていうかこの記事のタイトルはヨコハマポルシェではなかったのだろうか?


どちらかというとナゴヤクラウン的な内容になっている気がする・・・