長岡輝子先生
が、お亡くなりになられた。
芸能人最高齢102歳だった。
先生との出会いは俺が18歳の春、リーゼントに革ジャン
のクセして、文学座を目指してT芸に入学した頃だった。
その頃は先生の偉大さもよく分からず、“おしん”に言葉を
教えていた女優さんぐらいの認識だった。
が、それは入所数ヶ月でひっくり返されることになるのだが。
長岡先生は俺らに朗読を教えて下さった。
だが、厳密には朗読を聞いて下さったと言う方が近い。
長岡先生は“ダメ出し”というモノを基本的にされない。
「あなた、それ違うわよ・・・」
この言葉に何度絶句したことか。
「はい、もう一度読んでみて」
言われて読んではみるが、やはり
「あなた、それ違うわよ・・・」
のお言葉のみ。
そして最後にどうしていいか分からなくなると、
「はい、次の人・・・」
この授業には本当に参った(苦笑+)
で、発表会が行われることになり、俺は武者小路実篤の
“亀の如し”を選んだ。
が、どうにもこうにも先に進まない。
来る日も来る日も
「あなた、それ違うわよ・・・」の一点張り。
「何がどう違うんじゃい!」
若き日の俺には耐えきれない思いと焦りから、開き直り
そうになったこともあった。
ところがそんなある日、クラスの一人が、
「そう・・・それよ」
と言われたから大騒ぎだ。
「な、な、な、何ぃーーーー!?」
俺だけじゃない、クラス全員の目が丸くなった。
言われた当人すら、茫然としている始末。
そして、その後の休憩時間は大変だった。
皆してそいつを囲み「おい、お前、ちょっと読んでみい!」
と脅してるのか、お願いしてるのかすら分からない興奮状態。
で、読むのを聞くと、
「ほう、何か分からんが、いい感じだな・・・」
「あぁ、何か情景が浮かんでくるようだ・・・」
「韻というか、日本語の正しさがある・・・」
お前ら何様だ!と思わずツッコミたくもなるが、当の本人達は
真剣そのもの。
そいつも迷惑な話だったと思う。
放課後になっても「おい、もう一回!」と何十回も読まされては
「なるほど、テンポ感がここで変わるワケか」
「いや、その前に音が変わってるだろ」
「単語の立て方もあるな」
「よし、もう一回読め!」
笑い話のようだが、当時の演劇少年は皆こんなモンだった。
で、数日後ついに俺も
「そう・・・それよ」
が来た!
クラス全員が俺を見た。
授業終了後、俺はダッシュで帰った。
コイツらに付き合わされるのはご免だったし、何よりも“見つか
りかけた何か”を復習したかったからだ。
そして次の授業で、その“何か”は“これか!”に変わった。
正直、クラスの皆が辿りつけたワケではなかった。
いや、辿りつけたヤツの方が少なかっただろう。
その後、公演やらで何度か先生の演出を受け、「あなた、良かっ
たわよ」というお言葉を何度か頂戴した。
泣きそうになるくらい嬉しかったのを記憶している。
そして、その後必ず先輩から「調子にのんじゃねえぞ」とも言わ
れ・・・。
教えとはそんなモンだと、俺は全身で感じている。
だから俺が演出をする時も絶対に答は教えない。
答は手前で出すモンだ。
辛くたって苦しくたって、手前の言葉だろうが。
絶対に手前で見つけた方がいいに決まってる。
あの日の「そう・・・それよ」が、どれだけ俺を勇気づけたか。
今の俳優はすぐに答を求めてきやがる。
合理的なのかも知れんが、だからひ弱な俳優になっちまうんだ。
自分で答を見つける術も持たんで、どうやって表現者になるつも
りだ。
昔の師は厳しい人が当たり前だった。
色んな師から受けた怒鳴られた数、殴られた数なんて、覚えきれ
やしねえ。
理不尽なんて言葉は存在すらしねえわ(笑)
でも、
そこには愛があったからな・・・。
結局、ワケあって俺は一年でT芸を中退したが、その届け出を出し
に行った日、主任のF先生なんかも後ろ向きのまま泣いてくれた。
そして「お前には不思議な魅力があるから・・・何があっても辞めな
いで続けるんだぞ」と言ってくれた。
耳を疑ったよ、マジで。
よく殴られたし、見た目がワルすぎる俺は嫌われてんじゃねえかと
も思っていた。
事実、一番最初のK教授による演劇概論の授業なんか、いきなり
「出ていけー!」と怒鳴られもしたしな・・・(苦笑)
長岡先生は亡くなられる間際まで現役を続けられ、舞台に拘って
おられたと聞く。
素晴らしい、というより、羨ましいと思う。
俺は長岡先生のまだ半分も生きてねえけど、先生に負けないぐら
いの努力はしてきたつもりだ。
それもこれも先生のお陰だわ。
長岡先生、本当にお疲れさまでした!
先生が頑張られた人生という名の本番は最高の名作です。
端役ではありましたが、その人生に共演させて頂いたことは
俺の誇りです。
長岡先生、マジで少しはゆっくりとお休みになって下さいよ。
先生はきっとすぐに次の台本を探し始めるんでしょうから。
長岡先生、さようなら!お疲れ様でした!!
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20101020-OHT1T00200.htm
堀田眞三さん
が本日、お誕生日を迎えられた。
堀田さん、お誕生日おめでとうございます!
堀田さんは本当に優しく、そして強く、人として、俳優として
自分に多大なる影響を与えて下さった大先輩だ。
(俺は勝手に師と思わせて頂いているが・・・)
決して、お世辞など言う気はない。
堀田さんの生き方に触れさせて頂き、あまりにも驚くことが
多すぎて、勝手に刺激を受けているというのが実情だが・・・。
何がスゴいと言ったって、まず堀田さんにはエラぶったところ
がカケラもない。
ともすれば、ご自身が有名人であるといった自覚すらお持ち
でないようだ。
何度かお招き頂き、分不相応なパーティやイベントに同行さ
せて頂いた。
その会場で何十回もサインや写真を求められているのだが、
いつも「こんなジイちゃんでいいのかい?」と微笑まれる。
ステキだなぁと、いやステキすぎるわと、思わず憧れの念を
抱いてしまう。
俺みたいなやくざモンが堀田さんに近づける日が来るなどと
は思えないが、ここまで可愛がって頂いた御礼に、何か形を
残したいとは思っている。
初めて芝居を教えて頂いた伊藤智生監督。
俳優とは何かを教えて頂いた海津義孝さん。
人の優しさを教えて頂いた柳瀬貢一社長。
男とは何かを教えて頂いた真樹日佐夫先生。
そして、生き方を教えて頂いた堀田眞三さん。
色々な方々の生き様を魅せて頂き、飛野悟志は、小林清志郎
は今日も生きております。
本当に、本当にありがとうございます!
まだまだですが、いつの日か必ず、必ず恩返しさせて頂きます。
お宝
もう随分と前、いつ頃だったか記憶にもないが、確かに書いたような
気がするお宝ネタ・・・。
知ってる人は知っている“ライダー・アルバム”!
これはカルビーのお菓子に付いていた仮面ライダーのカードで、
その中に時たま入っているラッキーカードってのを3枚集めると
貰えるアルバムだ。
まぁ、遊戯王カードのハシリみたいなもんだな。
子供の頃、コレが欲しくて小遣いはたいて買いまくった。
だが、そうそうラッキーカードは出てくれないし、子供の小遣い
では限界もあった。
で実はコレ、その後十数年を経て、再発売されたいわゆるレプ
リカ物だ。
俺は“オトナ買い”が出来る歳になっていたので、お菓子屋で
見つけては買い漁り、ラッキーカード3枚は程なく手に入った。
すんげえ嬉しかったが、何故か子供時分ほどの喜びはなかっ
た・・・。
でも、この仕事について堀田眞三さんにお会いできたりすると
「あ、トカゲロンの人だ!」とか「暗黒大将軍だ・・・誘拐されない
ように気をつけないと」とか思えるのは嬉しい(大丈夫か、俺?)
ヲタクな若手が多いようだが、気になるなら見せてあげてもよく
ってよ!
【続く】
JKとTYG
なにやら英語で表記するとオシャレな感じになるが、
まぁ訳せば“女子高生とTEN YEARS A号”なワケだ(笑)
忘れていた写真があった。
さっきも書いたが、茨城から通うJK(3年生)大図愛ちゃん。
純なカンジが何ともTYGとミスマッチ・・・とほっ。
大図、人生色々あるが頑張るんだぞ!
またまたまたまた~о(ж>▽<)y ☆
頂いちまいました!
本日の頂きモンは・・・
これまた超大好物な“うなぎパイ”!
しかも“うなぎパイ V.S.O.P”!!
う~む、高級品じゃねえか。
くれたのは若手最年少、若干17歳の秋山大地。
静岡から週3回、芝居の勉強のために通う根性のある男だ。
先日書いた JKの大図愛ちゃんといい、ウチには非常にデキ
の良い10代が多い。
余談だが、“うなぎパイ”と“うなぎパイ V.S.O.P”の違いをご存
知だろうか。
“うなぎパイ”が夜のお菓子と言われるのに対し、“うなぎパイ
V.S.O.P”は真夜中のお菓子と言われている。
つまり・・・ヤラしさ倍増!ってことだ。
はあっ!
あ、秋山、まだ未成年な君がこんなモン買っちゃいかーん!!
まぁ、旨いからいいんですが・・・(どっちやねん!)
写真奥の煎餅は先日、最強の若手・横井万里子ちゃんから
頂いたモノ。
甘いモンとしょっぱいモンを交互に食べれれるこの幸せ・・・。
次は・・・
すっぱいモンがいいな!
お薦めは『よっちゃんの酢漬けゲソ足』な。
赤い方のだぞ、白いのはダメだ。
見た目も味の内だからよ。(コレ、誰も意味分からねえだろ)
さぁ~て、いつ届くのかなぁ ( ̄▽ ̄)=3












