おはようございます。
撮影以外で朝っぱらから電車に乗ることはまずない。
こういう日は滅多にないことが起きるに違いない。
う~む、なんか楽しみ・・・・(▼_▼メ)y-~~~
ただ今、
入浴中・・・・・・(⌒~⌒)
俺は基本朝風呂派だけど、たまには夜入るのもいいなぁ。
・・・・って、明日早いからなんだけど。
あ、明後日も急遽撮影入ったから早いんだった・・・・(°□°;)
大丈夫かな、俺。
2日続けて早起きしたらマジ寝ぼけまくるぞ。
以前、一週間毎日朝から撮影ってのがあった時もかなりボケ
てたし、5日目には遂に寝坊 しちまったからな。
あーなんか今から心配になってきた。
頑張れ、自分!
今日は
なんだかバタバタな一日だったが、
それでも優雅に庭園なんぞを散歩する機会に恵まれた。
今にも雨が降り出してきそうな天気だったが、それでも
こんなにキレイな写メが撮れた。
んで帰りには、
大好きなところてんを食したりもした。
ここは門前仲町にある甘味処“いり江 ”という店で、店内
はさほど広くないが、地元ではかなり有名な店らしい。
本当はあんみつを食したかったが、残念ながら昼メシを
食った後だったので断念・・・いと悲し。
お勘定を済ませて店を出ようとすると、女将が「ありがと
う存じ上げました」と丁寧に送りだしてくれた。
ありがとう存じ上げました、か。
初めて耳にする日本語の心地よさに気分が晴れやかに
なった。
近くに行かれた際には是非一度お立ち寄り頂きたい。
オンナ
俺は決してモテる男ではない。
そう見られることはよくあるが実際にはモテていない。
確かに100人以上の・・・以下省略。
気づけば周りにいるのはいつもヤローばかりだ・・・いと悲し。
確かにオンナは好きだ。
だが最近はふざけたオンナも多い。
俳優なんてやってるとカッコつけるのも仕事のウチだとオネ
ーチャンに愛想の一つも振りまくが、××しね×××に××
い×て×てテキトー××××んだら××××だ×よ。
だから俺は100人以上の・・・中略・・・独りでいるんだろうな。
こんなこと書いてたら世の女性陣からお叱りを受けそうだが
(野郎連中にはウケそうだが)、事実そんなオンナが多いん
だから仕方ない。
まぁ、モテない野郎の戯言と笑ってくれ。
いきなり寒くなった春の終わりに独り酔っ払いの小林清志郎
様であった。
このブログ、明日消しそうだな。
追記:一部自主規制したから大丈夫かな(笑)
呑み屋
についてぼんやり想っている。
たまに話すが、若い頃の俺はそんなに酒が呑める男じゃなかった。
族仲間とツルんでいた時もディスコに入り浸っていた頃も、付き合い
で仕方なく呑んでいた感じだった。
そんな俺がある頃から酒に憧れを抱き始めた。
芝居を始めてもリーゼントに皮ジャンだった俺はモノ珍しさからか、
やたらと先輩や先生に可愛がられ、しょっちゅう呑み屋に連れて行
かれてた。
呑めないのに割り勘、オマケに終電過ぎても帰してもらえず終い。
だが一度だって嫌々行ったことはない。
逆だ、むしろ喜んで付いて行った。
当時の先輩方はロン毛にグラサン、髭はやしてくわえ煙草に酒を
グビグビ・・・話す内容は最初から最後まで演劇論。
そんな大人達が俺にはサイコーにカッコよく見えた。
「俺もこうやって酒呑んでくわえ煙草で演劇論語る大人になる」
馬鹿みたいな話だが、それが当時の俺の夢だった。
で今、その夢は叶ったワケだが・・・何かが違う。
店だ。
あの頃のような、行くと気が落ち着く店が少なくなった。
信じられんかも知れんが、俺が先輩方に連れて行って貰ってた店
は営業時間が過ぎても話が盛り上がっていると何時まででも店を
開けていてくれた。
マスターが用事のある時なんかは知らない内に帰っていて、俺ら
はほったらかしにされてた(笑)
客を金としか見ない店が増えたんだろうな。
当たり前の事かも知れんが、わざわざ酒屋で買うより高い酒を呑
むにはワケがあるはずだ。
ブログを拝読してて感心しちまったが、大阪にはいまだにそんな
イカした店があるらしい。
いつか機会を見つけて行ってみたいモンだ・・・・。
ゴンドラ
という映画がある。
もう25年以上も前の映画だ。
監督はかつての俺の師匠・伊藤智生。
今日は若手へのレッスンの一環として、上映会を行った。
何度観ても胸が熱くなる。
こんな物凄い映画を師匠は撮っていたんだな。
機会があれば(ないだろうが)・・・是非観て頂きたい。
以下は、某サイトからの抜粋。
製作プロダクションの母体となった、スペースOMというのがあった。
監督の伊藤とプロデューサーの貞末麻哉子とが、1979年 7月に開設した、16ミリと8ミリの上映設備を
備えた、キャパ50席のこのスペースは、自主上映や稽古場等のレンタルスペースとして始まった。
営利目的でなく、映画製作をめざす若者達の道場的存在であったOM には多くの若者達が集まって
きた。 ここで、『ゴンドラ』の主役(かがり)の上村佳子(当時、小学五年生)と伊藤が出会うことによって、
『ゴンドラ』は誕生してきたという。
1985年4月脚本完成稿脱稿、7月(株)OMプロダクション設立、8月1日クランクイン、 10月11日クラン
クアップ、翌年五月初号試写。
総製作費5000万円の、八割は富士銀行(当時)からの融資によった。
が、完成時、上映配給のメドはなかった。以後、'88年3月までに二年近くをかけて、まさに手作業の宣
伝交渉上映会が続けられた。
1986年5月、初号完成後すぐさま都内の単館ロードショー劇場に上映交渉を開始するが、試写審議の
結果、作品に対する個人的反応とは別に、過去の興行成績のデータに基づいての商業的価値云々、
ないし劇場のカラーに合わないといった理由で、上映は不可との回答。もし、上映するなら、条件として
劇場に多額の興行保証金を支払うことを要求されるケースもあった。…そこで、日本での公開交渉活動
を一時停止、英字スーパー入りプリントを作り、海外での作品評価に賭けてみることにした。
1986.9月、監督が渡米。American Independent Feature Film Market にプライベートで参加など、滞
米中に可能な限り、出会った人々に『ゴンドラ』をみてもらう。
1987年。 一月、香港での、第二回 Japan Independent Film Festival に招待上映。
以後、日本映画ペンクラブより推薦、優秀映画鑑賞会からの推薦、など、海外(の映画祭)も含め様々
な宣伝上映交渉に奔走。
1988年 1月12日。(株)東京テアトルの協力を得て、4月16日より最低四週間上映(興行保証金なしで)
で、テアトル新宿でのロードショー決定。
プロデューサーの貞末は、けっして安売りはしないとの方針を貫いていた。
日本映画ペンクラブ推薦
優秀映画鑑賞会推薦
厚生省中央児童福祉審議会推薦
健全映画鑑賞会推薦
1987年 OCIC日本カトリック映画大賞受賞
1987年 日本映画ベストテン10位入選
1987年 第9回ヨコハマ映画祭
新人監督賞(監督個人賞・伊藤智生)受賞
撮影賞(カメラマン個人賞・瓜生敏彦)受賞
1987年 第12回東京たちかわ映画祭
特別奨励賞(プロデューサー個人賞・貞末麻哉子)受賞
1988年 オーストラリア・ブルーデンツ国際映画祭審査員特別賞授賞
1987年 トロント国際映画祭正式招待
1987年 ウィーン・シネアジア映画祭正式招待
1987年 ハワイ国際映画祭正式出品
1987年 香港 第2回ジャパン・インディペンデント・フィルム
フェスティバル正式招待
1988年 インド国際映画祭正式出品
1988年 ニュージーランド現代日本映画祭参加
1988年 ポルトガル青少年国際映画祭正式出品
1988年 メルボルン映画祭正式招待
1989年 東京国際映画祭正式招待
師匠、お元気でやられてますか。
俺はやくざモンになっちまいましたが、師匠の教えだけは守っています。
文字通りの“死ぬほどキツかった稽古”が今は懐かしいです。
芝居はお陰さまで商売になるぐらいは上手くなれました。
師匠の“俳優として負けない為の方法論”のおかげです。
またお会いしたいです。
そして、また打ちのめされたいです。
師匠、もう少しだけ待ってて下さい。







