息子(高2)が
学校から帰ってきて
「友だちと国語の教科書の話しててさ~
どんな話が載ってたか、って話になって
『モチモチの木』は覚えてる?
あった、あったー!
とか、盛り上がってたんだよ。」
(余談ですが、我が家の子どもたちは
言葉を獲得する時期に千葉で暮らしていたので
今でも標準語っぽい喋り方をします。)
で、面白かったのが
みんな当然のごとく
「小学校の国語の教科書」
の話をしてた、と。
事情はそれぞれやろけど、
中学校には通えてなかった子が
多いこともあって、
思い出話は
当然のように
「小学校ネタ」なんやって。
( ´艸`)
病院の先生がおっしゃってた
「体力に見合った学校を選ぶ」
ことって、
やっぱり大切やと思います。
例えば始業時間がゆっくりめ
とか、
授業時間数やカリキュラム
とかいう
時間的なこともそうやし、
それ以外にも
目にみえなくても
「この程度は当たり前」として
要求されることも
きっと学校によって
全然違うんやろなぁ
って。
先生方の対応も然り。
子どもの状況を
分かってくださる先生の存在は
ものすごく大切!
そして
まわりの仲間もね。
学校へ行けなかった
ってことを
ことさらに恥ずかしく思ったり
隠そうとしたりしなくても
いい環境って
なかなか貴重です。
p(*^-^*)q
事情はどうあれ、
似たような境遇を過ごしてきた
ということは、
すごく安心なんやないかな
って。
つい忘れてしまいそうになって
ふと思うんやけど、
「学校に通う」ってこと
やっぱり
「当たり前」のことではない。
そんなことを
わたしたち親も
先生も
まわりの仲間も
分かっている環境っていうのは
ここから羽ばたこうとしている
子どもにとって
最高の礎やないかな
って
登校する息子の背中を見ながら
思ってました。
(*^o^*)
学校から帰ってきて
「友だちと国語の教科書の話しててさ~
どんな話が載ってたか、って話になって
『モチモチの木』は覚えてる?
あった、あったー!
とか、盛り上がってたんだよ。」
(余談ですが、我が家の子どもたちは
言葉を獲得する時期に千葉で暮らしていたので
今でも標準語っぽい喋り方をします。)
で、面白かったのが
みんな当然のごとく
「小学校の国語の教科書」
の話をしてた、と。
事情はそれぞれやろけど、
中学校には通えてなかった子が
多いこともあって、
思い出話は
当然のように
「小学校ネタ」なんやって。
( ´艸`)
病院の先生がおっしゃってた
「体力に見合った学校を選ぶ」
ことって、
やっぱり大切やと思います。
例えば始業時間がゆっくりめ
とか、
授業時間数やカリキュラム
とかいう
時間的なこともそうやし、
それ以外にも
目にみえなくても
「この程度は当たり前」として
要求されることも
きっと学校によって
全然違うんやろなぁ
って。
先生方の対応も然り。
子どもの状況を
分かってくださる先生の存在は
ものすごく大切!
そして
まわりの仲間もね。
学校へ行けなかった
ってことを
ことさらに恥ずかしく思ったり
隠そうとしたりしなくても
いい環境って
なかなか貴重です。
p(*^-^*)q
事情はどうあれ、
似たような境遇を過ごしてきた
ということは、
すごく安心なんやないかな
って。
つい忘れてしまいそうになって
ふと思うんやけど、
「学校に通う」ってこと
やっぱり
「当たり前」のことではない。
そんなことを
わたしたち親も
先生も
まわりの仲間も
分かっている環境っていうのは
ここから羽ばたこうとしている
子どもにとって
最高の礎やないかな
って
登校する息子の背中を見ながら
思ってました。
(*^o^*)