現在、LCCも含め試験が多いので試験官が不足しています。殆どの会社は指定養成施設の認可を貰っています。教習所と同じです。そして、Company Checkerに審査を任せています。

しかし、CompanyCheckerは1年に一回CABの審査を受けます。きちんとした評価をしているかを審査されるのです。

 

私が教官をしていた時代はもう30年以上前です。その頃は何人もの試験官に審査を受けました。

写真は機長の機種移行訓練の時です。その頃はもう機長の機種移行訓練はSymulator訓練だけでCAB試験は終わりでした。試験終了後、大分空港に行き実機を使い離着陸訓練(経験)を6回づつやりました。本当は3回以上と書かれているのですが、皆さんが要求するので6回やりましたが訓練所は何も言いませんでした。良い会社でした。

私はその2年前、Symulatorの訓練と試験は羽田、実機訓練と試験はエアバスの工場のあるツールーズで受けました。暫く飛行時間を増やしてから飛行教官になる時、訓練は大分空港になってしまいました。コストを計算すると直接経費だけでなく、少ない試験官の予定や、不合格になった場合の対応などを考え日本でやる事になりました。結局日本で訓練することになり救われた人も数人いましたが、またしても大分空港通いです。フランスに何度も行けると期待していたのでとてもガッカリしました。

このA300-600R導入時の訓練では色々なことが有りました。まず、蒼蒼たる(50歳以上)開発要員がバタバタと倒れました。半分近く不合格となり、Checker、FI、 RI要員が全く不足してしまいました。会社の計画も“絵に描いた餅”になってしまいます。すると後から訓練に入った人には、合格すれば必然的に役が回って来ます。私も直ぐFIの役が回ってきたのはそういう訳でした。

航空局は開発要員の年齢は40歳以下にして欲しい。訓練が順調に行き始めたら50歳以上の人も移行訓練に投入しても良いと言ってきたのです。しかし、そんなことにお構いなく我も我もと50歳以上のグレートキャプテンが入ってしまったのです。因みにFOは全員合格でした。

我々8人の内3名がSymulatorで不合格、半年前ツールーズでの訓練で実機試験で落ちた先輩も含め総勢6名でフランス・ツールーズに向かいました。しかし、先輩はまたしても不合格! 実力よりも試験度胸がなかったようです。結局9名の内4名不合格です。

その頃訓練は3ヶ月毎に開始され、間にFOが入っていたので半年待って我々と合流したのです。その落胆ぶりは見ていられませんでした。自殺してしまうのではないかと全員で気にかけていました。その彼もMD-82には問題なく復帰しました。

しかし、事件はその帰りに起きました!!パリ空港で帰りの飛行機に乗る前に一番若い同期の一人が奥さんに連絡した処、”パパ、今日花巻空港で飛行機が燃えてしまったのよ”と言うのです。詳細は分からないけど取り敢えず死者はいない事だけは分かりました。帰りの飛行機はもうお通夜のようです。自殺するのではと心配した彼も自分のこと以上に心配してそれどころではなかったでしょう。成田空港に到着し、急いで新聞を買いに行きました。各誌一面に大きく、それもカラーで炎上するMD-82の写真が載っていました。

前回でも書きましたが、2MAN(二人乗り)のハイテク機が初めて導入されたとき、航空局の首席審査官は、今までの考えでは事故が起こる危険性が大きいと考えました。ヒューマンファクターがクローズアップされてきたのです。機長、副操縦士の役目ではなくPF/PNFの役割分担を明確にしてPFはフライトに専念すること。PNFは故障時操作に専念することを明確にできないと試験は不合格にすると決めました。離着陸や操縦の腕より重視することにしたのです。勿論離着陸があまり下手では不合格ですが!数名いました。

Boaing747‐400の政府専用機の運航開始にあたりJALで訓練を受けた航空自衛隊の先発隊全員が不合格になったという噂が流れました。先発隊の人達も従来の腕に自信が有りすぎ、コンセプトの理解を疎かにしたのでしょう。

2時間ずつ2人の訓練はPF/PNF両方の業務に慣れないと飛行機は飛びません。PNFはFlight Engineer(FE/航空機関士)の役目もしなければならなくなったのです。年配の機長同士でペアを組むので大変です!

52年前の話ですが、マイアミ空港に着陸前、イースタン航空トライスターL-1011がLanding GearのGreen Lightが点灯しないのに気が付き、FEがコクピットの床下に潜り確認しました。その間機長はオートパイロットをONとして2000フィートでHolding Patternを旋回していました。そこでだれかの肘が操縦桿に触れてしまい切れてしまったのです。コクピットには機長を含め4人が乗っていたにも関わらず誰も気が付かず、FOが一瞬気が付いた時は遅すぎました。そのままワニの生息する湿地帯に墜落したのです。夜間何も光の無い湿地帯の上です。4人いたのに全員が一つの事に集中していて起こったのです。まして2人になれば余計危険性が増します。そういう事例を防ぐために特にフューマンファクターに力を入れたのです。

余談ですが、有る航空会社でスタンバイしていた年配の機長2人で急に飛ぶことになりました。しかし、どうしてもCockpit Preperation(エンジンスタート前にナビゲーションの準備その他)が出来ず、結局機材故障として飛べなかったそうです。訓練以降、殆ど若いFOに任せ過ぎていたのでしょう。

結局新しい首席審査官の方針の下にハイテク機の試験は厳しくなったわけです。JALもANAもBoaing747-400を導入する時は 苦労していました。前回のエアバスの試験の後、強い西風の条件で離着陸を見せてくれた試験官も厳しかったようです。

エアバスの地上教官に初期訓練FBS訓練( Fixed Based Symulator)(Full Flight ModeでなくMotionを入れずProcedure訓練を含めた)を任せるに当たって、ヘリコプターの後輩でその当時Boeing767の教官をしていた友人に、地上教官の訓練の見学をさせて貰いました。

日本では二人乗りの機種は Boeing767が最初だったのですが、B767は未だ完全な2MANのハイテク機と見なされていなかったと思います。

友人にその試験管の話をした処 ”試験官には何時も泣かされている”と言うのです。

JASも最初、首席審査官の要望を聞かずグレートキャプテンを開発要員に投入しました。政府専用機の嵌った問題と同じく腕自慢でコンセプトを理解できず失敗したのでしょう。2年以上かかりましたが、訓練が順調に進み2MANのOperationの教育方法も固まり、指定養成施設の認可を取得してから訓練に入れば、グレートキャプテンも問題なく移行できたと思います。

しかし、50歳近くになりヘビースモーカーの人や、酒をたくさん飲む人はハイテク機の理解が難しかったようです。彼らの若い時の実力を知っている私には信じられませんでした。モックアップを使い、各科目の決まった手順を覚え、何度も練習してSymulatorに臨むのですが、出来ないのです。

3人乗りの旧エアバスから来た人は航空機関士の役目は大変でしょうが、MD-82は二人乗りでした。それ程負担が増えたとは思わなかったのですが、コンピューターとの対話と言うか、コンピューターとのやり取りが難しかったようです。

内容と手順が大きく変わったのです。