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再婚した妻には2人の子がいます。上の息子は一昨年の春広島に転勤になり、タイミングよく結婚しました。下の娘は同じく、春に大学を卒業したのですが、9月の後期入社を希望しました。そして決まった最初の配属先が、徳島でした。大学卒業迄家から通っていたので入社早々一人暮らしです。家探しから引越し迄全て母親任せです。

 

私も引越しの手伝いをさせられました。徳島の藍の里 藍住町でした。徳島は吉野川が中心に流れておりその支流が蛇のように入り組んでいます。昔その付近は時々水害が有ったそうです。

ちょうどタイミング良く友人が淡路島に来るので初めて鳴門大橋往復を車で向かいました。明石海峡大橋手前のスマートインターチェンジを間違えてしまい、明石海峡大橋を渡り信号で直ぐUターンをしました。結局明石海峡大橋も往復してしまいました。

機長に昇格する時は、最初に4本の路線資格を取るため航空局の審査を受けます。残りの路線は社内審査です。伊丹-徳島、伊丹-出雲で受けました。朝早くから始まり、天候が悪く遅れを回復出来ず、昼食を取れず、結局3時過ぎに魚の入った昼食の弁当を食べ、夜家に帰ってから蕁麻疹が出てしまいました!鯖などの青魚は好きなのに初めての経験でした。やはり、緊張感からくるストレスなのかなと思いました。

徳島はJALに受け継がれています。2回徳島に行きましたが、弱い横風なのに変な傾きで接地してから捻る動きがどうも気になりました。

現役の頃町の南側に在る眉山に歩いて登った思い出があります。

たった10ヶ月で高知に転勤となり、又引越しの手伝いです。高知は妻の田舎ですが偶然です。

こんどは高知駅から近くビルも多くなり都会です。

機長資格の3.4本目は伊丹-高知-名古屋の往復でした。昔はYS11用の1500メートルでしたが、現在は2000メートルになりました。

高知阪急ホテルが出来る前は駅前の【ホテル桂】でしたが今はマンションになっており、高知駅も立派で線路も高架になっています。駅の北側も開発され全く様変わりで驚きました。昨年のNHK朝ドラの主人公牧野富太郎の植物園にも40年前に行きました。懐かしい想い出です。

広島から息子の嫁さんがちょうど孫の一歳の誕生日に、孫を連れて友人の結婚式に出席する為上京してきました。10日ほど前彼女の両親が迎えに行きました。甲府に実家が有ります。

帰りは私たちが新幹線で送る事になり、岡山駅で別れ、私たちは在来線の汽車に乗り換え瀬戸大橋を渡り、高知に向かいました。残念ながら夜になってしまい夕日も景色も見れませんでしたが、その前に富士山が綺麗に見えました。こんな経験をこの歳でするとは考えもしませんでした。

偶然娘が大阪のユニバーサルスタジオの帰りで岡山駅で合流しました。時間が合わず孫に会うことはできませんでした。大阪からバスで帰る予定を急遽新幹線に変えたのでした。

三階建ての焼肉ビルに行きました。私が初めて高知に行った50年前には未だ開店しておらず、46年でここまで大きくしたそうです。それも4店舗も!凄いものですね!

有名な【ひろめ市場】は騒々しいのでやめて、帯屋町の料理店に行きました、小さな店ですが、

カツオのたたきだけで無くコースで美味しい料理を出してくれました。桂月と言う日本酒を専門にしているそうで、種類も多く美味しかったので買って帰ります。

両親が亡くなり実家も有りませんが、妻の実家近くの桂浜に今日行きます。

高知はこの30年で様変わりしましたね!コロナ騒ぎで苦労したと思いますが、駅の北側にあるイーオンも広く大変賑わっています。噂は聞いていたのですが、娘のマンションの近くに【とさのさと】と言う大きな物産店と【サニーマート】がとてもセンスが良く驚きました。中国か台湾からの旅行客が観光バスで訪れていました。そして駐車場を斜めに挟んで、【蔦屋書店】が横に長い3階建のビルでスターバックスと色々な雑貨店とコラボしていました。この店もセンスが良かったです。

高知駅の北側の山の上に在る高知ゴルフで2日連続でゴルフを楽しみました。直接高知駅は見えないのですが、高知空港が見えます。

相変わらず土佐電鉄の路面電車・通称“土電”が走っていましたが、市内への通勤はほとんど車です。通行量が多く、その中でも軽自動車がとても多いですね。高知空港のロビーにはダイハツの車が展示されていました。問題を起こしているが、地方ではダイハツも含め軽自動車は必需品ですね!

1月からこのブログを書き始めたきっかけは、昨年12月に妻が一人で高知に行った時、まるで不時着した様だと言う酷い着陸だったと聞いたからです。

現役時代書き留めていた物を纏めてみたのですが、結構ありました。4年前、ハワイに行った時のあまりの酷さに驚いたのですが、未だ書けませんでした。一軒家から駅近マンションに移り、時間が余るようになったのでようやく書き始めた訳です。

エアバスA300-600Rはハイテク機の最初の機体でしたが、その後エアバスは全て操縦桿ではなくスティックタイプになりました。機体の動きを自分でコントロールする事は変わらないと思います。

しかし、思わぬ動きをしたり、パワーを出しても全く出なかったりしたら怖いですね。

数日前、高知滞在中、チリ航空のB-787-900が巡航中突然急降下の姿勢になり50人近くの乗員乗客が負傷しましたが幸い軽傷ですみました。

1997年名古屋空港に向け降下中のJALMD-11が降下中突然オートパイロットが切れ、今回とは反対に機首が急激に上がり数人が天井を突き破り、乗客3名が重傷、軽傷者多数、CAの一人が半身不随になり結局亡くなられた事故がありました。この欠陥は生産開始当時から指摘されパイロットから嫌われ、本迄出版されていたが、欠陥が分かっても改良できず、結局JALの事故の4ケ月後に生産中止になりました。水平尾翼を小さくしたことが原因らしいです。

欠陥機を生産したDouglasと認可したアメリカの航空局FAAの責任が大きいと思います。

そして、Boeing、Airbusも含め メーカーは真摯に反省すべきですね❗️

 

ハイテク機が運航開始してから40年になります。19年前に退職しました。航空機は日進月歩です。

時代が違うのと数値がうろ覚えの部分が有るので申し訳ありませんが、書いています。