1989年8月MD-82の機長に昇格し、少し時間が出来ました。もう少し大阪駐在を希望したので大阪勤務が続いていました。

八尾飛行場にあるJASヘリコプター事業部で飛んでいた農水協の先輩にお会いしました。久し振りにヘリコプターに乗りたいと話したら、近いうちに整備後のテストフライトがあるから乗れると言うのでお願いしました。

19年ぶりでした。機種はベルジェットレンジャーです。タービンエンジン搭載の傑作機です。やはり翼が付いていないと怖いですね。上から吊るされているようです。少し旋回すると真下が見えます。又、エンジンが1つでは不安ですね。無性に飛びたくなりました。しかし日本では高すぎます。  

そこで、アメリカで飛ぶことを考えました。ちょうどバブルのピーク直前です。航空雑誌で調べるとたくさん方法があります。日系の訓練学校がアメリカ本土には数ヶ所ありました。

そこでハワイインターナショナルヘリコプターズを見つけ連絡しました。

1ドル100円位でした。最初は20年振りで感を取り戻すため値段の安いヒューズ300で飛びます。

このヘリコプターもベル47G2と同じくハイドロアシストがなくとても重かったです。ヒューズ300については全く事前勉強はしていませんでした。

横から見ると透明な筒のような操縦席と後方に棒のように伸びた先にテイルローターが付いています。

1時間220ドル、その内20ドルが教官手当です。13時間ほどで慣れて来たので憧れのジェットレンジャーです。料金は520ドル、教官手当込みです。夜間飛行も含め15時間程乗る予定でしたが7時間ほどした時に社長がハードランディングしてしまい使えなくなってしまいました。他にヒューズ500があるのですが、今からでは間に合いません。結局ヒューズ500を2回ほど経験の為に乗って終わりにしました。2人の若い教官がいたのですが、社長が教えると最終審査が出来ないので他の教官に教わる必要があります。このうちの一人に社長が教育している時に社長自ら失敗してしまったのです。

ハワイに行く前に先輩からジェットレンジャーのマニュアルを貰い、他にヘリコプター教本を2冊買い復習しました。又ハワイからアメリカの試験問題集を送って貰い勉強しました。

この問題集は事業用試験の問題を960問ほど各科目ごとに乗せています。結構大量でした。私は会話が苦手ですが、単語の語彙はある方です。実際に行くまで約半年以上辞書を引きながら勉強しました。航空局にも連絡し、日本のライセンスの証明書の発行をお願いしたら、実際は新橋にある航空協会で発行して貰いました。紙製で簡単なものでした。

ハワイに行くと日本人が5人訓練していました。一人は整備の手伝いもしていました。皆さんどの位の期間、予算で来ているのか、将来が見えているのかわかりませんが、一人だけ訓練終了近くの人がいました、しかし、ジェットレンジャーが壊れてしまったので、最後のFAA(アメリカの航空局)の試験が受けられませんでした。彼は一時帰国し航空級無線通信士の試験を受けたそうです。タービンエンジンのライセンスを取得したら仙台空港で就職も決まっているそうです。

私は学科試験を受けることにしました。取り敢えず会社で模擬試験を受けました。94点でした。80点以上が合格だったと思います。

実際の学科試験は小型機や事業用(Deneral Aviation)のエリアで一番大きな飛行クラブのオフィスです。料金を払えば何時でも受験できます。さすが日本と違います。見るからに太ったハワイ人の女性に案内され、ガラス張りの10人分以上の机の有る部屋で一人で受験しました。衆人環視の元です。クーラーが効きすぎでした。

直ぐに採点され結果は同じく94点でした。日本人の他にアメリカ人も何人も訓練を受けていましたが、皆さん驚いていましたね。

やはり初心者にとっては難しいのでしょう。日本人にとっては英語が分からず、まして専門用語はもっと大変でしょう。

問題集を勉強したのですが、航空法と言うか設定基準のようなものの解釈が若干違うようで分からないままで受けたので何問かは分からずじまいでした。

 

日本人の訓練生はホノルルに到着し、まず身体検査を受けるのですが、この時の医者が英会話の能力を審査するそうです。しかし、自信なく受け、不合格になると暫くして受ける再試験が厳しくなるそうです。そのため3か月以上住んで自信が付いたら身体検査を受けるようです。

私は直ぐにアラモアナセンター内の医者を紹介され受験しました。あっさりと合格でした。まだ、聴力も英会話のヒアリングも問題なかったようです。日本では実際しないのですが、「性病でないこと」の検査でパンツを下ろされました!

アメリカの訓練で驚いた事がたくさんあります。訓練の3分の1近くは国際線が飛ぶ滑走路の横の芝生です。エンジンは故障するもの、テイルローターも壊れるものと考え常に実戦的です。離陸開始して直ぐにエンジン不調でクイックストップ(急停止)、タクシー中エンジン停止でホバリングオートローテーションです。私はまだ実際にそこまで進んでいませんでした。もっと凄いことがあります。今思い出しても信じられないのです。巡航中テイルローターが壊れてしまった状況です。Tailには簡単な垂直尾翼の役目をする薄い板が有るだけです。ラダーが使えません。

すると30度ほど左向きで少し右に傾けて場周経路を飛び、ファイナルで接地寸前に減速しながらエンジンのパワーを増やすと徐々に機首が右に回って来ます。そして機軸が合うと接地です。それも滑走着陸です。実際に芝生の上を滑走して止まるのです。ギリギリ浮いた状態で減速してつんのめらないようにコントロールするのでしょうが、驚きました。

アメリカ製のヘリコプターはパワーを絞ると左に回ります。そこで右ラダーを踏み込みます。逆に静かにパワーを増やすと右に回るわけです。理屈通りでした。因みにヨーロッパ製のエアロスパシアルは逆の回転方向です。

もう一つのホバリングオートローテーションです。ホバリング状態からラダーを離し一周回って元の正面に戻った所でパワーを一気に絞って右ラダーを踏んで回転を止め接地するのです。これも驚きです。

ある日社長が自ら教官教育で、フルオートローテーションのデモンストレーションをしたようです。RWY08のタクシーウエイの横の芝生で、弱いテイルウインドだが大丈夫と思い実施したら失速してハードランディングになったそうです。国際線が使っている方向だから仕方なかったのです。

振動が有るが運河を横切って帰ってきました。エンジンカバーを開けてビックリ!

ボルトが何本か緩んで抜けているのもあったようです。修理の予定が立たないと言われました。

訓練でホノルル空港を出発する時は、北に向かい直ぐ東西に走っているH-1ハイウエイを曲がります。左に曲がり西に向かい10~20マイル位の所にあるパイナップル畑を最初は使いました。その後ノースショアのグライダー用の飛行場にも行きました。海岸線の崖の近くで常に上昇気流が発生しグライダーに最適な飛行場です。

H‐1ハイウエイを右に回るとホノルル市の中心を通り、ダイアモンドヘッドに向かいます。

一度夜間飛行で島を周りました。とても奇麗でしたね。

出発する時と帰る時はタワーから経由するポイントを含めたクリアランスを貰い復唱します。

日本のSpecial VFR Clearanceと同じです。エアバンドを借りて練習しました。

49年前(現在からでは83年前)の12月7日(米国時間)日本海軍の飛行機がこの真珠湾を攻撃したのに、今私はレジャーで戦艦アリゾナメモリアルの上空を飛んでいるのです。不思議な思いでした。

MD-82の機長になって1年後やっとハワイに行ったのですが、9月に9泊、ホリデイインに泊まり、10月の25日から7泊、11月1日から5泊で連続して12泊ですが、プリンスホテルとヒルトンホテルに分けました。理由はエアラインディスカウントが連続マックスが7泊だったからです

有給休暇が十分貯まっていましたが、見た目に3ヶ月かけた苦肉の策でした。結婚して15年子供が出来なかったのでチョット贅沢をしてしまいました。2回目は妻を同伴し、夜間飛行を含めて何回も乗せてあげました。コロナ開けの円安ではもうこんな経験は出来ません!!