ヘリコプターの同期

 

絵の上手い先輩が描いた練習機T34メンター  尾翼には防府航空隊のマークが描かれている

 

昭和42年10月奈良市にある航空自衛隊奈良幹部候補生学校に民間操縦士訓練第12期生として入校しました。短縮して民操12期、通称はシビル12(Civilian12)と呼ばれました。

 

前期後期に分かれて4月と10月に入る後期生です。この制度は結局24期迄12年間続きました。ちょうど真ん中でした。人数はJAL16名、ANA5名、JDA2名、ヘリコプター3名の総勢26名でした。

この学校では飛行機の基礎学習、航空力学、エンジン、気象、航法、そして英会話です。最後に航空級無線通信士の国家試験を受けます。そのためモールス信号の基本も勉強します。

幹部候補生学校という事は高卒で自衛隊に入り将校(3尉以上)になるための教育を受ける学校です。一般に航空学生は高卒なので、スクランブル発進した時に敵機を攻撃をせざるを得ない場合の判断は将校でなくてはならないという理由だそうです。勿論防衛大学、一般大学卒業生もいます。

冬の奈良市は非常に冷えます。早朝6時に起床ラッパのスピーカーの音で起床、直ぐ毛布、シーツを正確に折りたたみ、上半身裸で校庭に集合し体操です。校庭を走る事も有りました。

慣れると起床ラッパの鳴る前に電源のスイッチの入る“ツー”と言う音で全員目が覚めるようになりました。大学で麻雀に明け暮れた人にはきつかったでしょう。

年末・年始帰省明けで鈍(なま)った気持ちで、マイナス4~5度Cの気温では裸はきついと言ったら下着着用は許されました。民間人には少し甘かった様です。

入隊して直ぐ吉田茂元総理大臣が亡くなり国旗を下げる半旗を初めて知りました。

 

26人全員航空級無線の国家試験は合格しました。半年前に不合格になった11期生の1名が再受験に来ました。3月半ばに卒業し、JALの16人は静岡県静浜航空基地、残りの我々10人は航空自衛隊防府教育隊に行きました。4月上旬入校寸前にヘリコプターの同期生の一人が辞退しました。

防府での訓練はT34メンターと言う低翼225馬力、巡航速度120ノットの練習機を使います。エアロンカの3倍以上の馬力、速度も2倍です。最初は舵の効きが良すぎて持て余しました。操縦が乱暴だと言われましたが、何とか20時間でソロ(単独)飛行にたどり着きました。

自衛隊の航空学生は8~9時間だそうです。彼らは65時間で終了し次の課程に進みます。他に海上自衛隊は35時間だったと思いますが、なんとその内の2名が4年後に当時の東亜国内航空で一緒になったのです。その他、海上保安庁も初期訓練を受けていました。

T-34メンターの飛行時間は、我々民間操縦士訓練生が一番多かったようです。

ソロ飛行の前にANAの訓練生が一人脱落しました。名古屋大学を中退していて、戻る事になり良かったと思いました。頭が良過ぎるのも飛行機には向いていないと感じましたね。何故試験に合格したのか不思議でした。

曲技飛行の訓練も少しですが出来ました。Loop飛行/縦の1回転、Barrel Roll/仮想の樽の胴体をなぞる螺旋を描く、Spin/失速して螺旋を描いて急降下する等を経験しました。馬力が少ないので中途半端な形の飛行になっていました。

面白いことに家の近くの京成谷津遊園地のジェットコースター(一部海の上にかかるので海上コースターと呼ばれた)が怖かったのですが、防府に近い宇部の常磐公園のジェットコースターが全然甘いなと思うようになったことです。

航空学生出身で現役のF86から戻った若い教官が模範演技をしてくれました。Power が無いので、

Loopの円が小文字の”ℓ”になってしまうと言っていました。

時には隣の空域の訓練機に近づくと急にDog Fight(模擬空中戦)が始まります。

 

結局8人になり卒業前のLong Navigationで宮崎空港まで8機で往復飛行をしました。宮崎では航空学校の学生と親睦を兼ねて学校のバスに乗り青島迄行ったのですが、その学生の中に羽田事故を起こした機長がいたことを事故の後で知りました。ほぼ年齢も同じだったのですね

 

8名が全員が110時間の訓練を無事に終え、ANAの4人は熊本の訓練所に、TDAの二人は羽田空港の訓練所。我々二人は三重県伊勢市の近くの陸上自衛隊明野航空学校に入校しました。この学校でも110時間の訓練を受けました。

機体はベル47G-2と言うヘリコプターのほぼ原型と言えます。1946年に実用化され、日本には1952年に47D型が少数輸入されたが、その後、川崎重工がG-2型のライセンス生産を始めました。

現在D型が一機ANAの建物に残して展示しているそうです。JA7008・通称8号。このヘリコプターが日本全国を飛び回り小学校に着陸して回りました。写真がたくさんあります。ANAの現在があるのはこのヘリコプターのお陰です。なんと油圧装置が無く、車で言うパワーステアリングのない機体でした。物凄く重い操縦桿でした。

操縦桿の軽い47G-2で訓練を受け、ANAに入社しても数時間G-2で訓練したのに、航空局の実地試験時は全ての機体が農薬散布その他の仕事に出ており、格納庫の隅から8号を引っ張り出してきたのです。楽しい思い出です。このブログを書いている時にスマホで調べていたら分かりました。懐かしいので近いうちに見にいこうと思います。

 

サイドバイサイドで操縦桿が両側にあり、中央の低い位置に縦型のボックスに計器盤がありました。2人に挟まれた真ん中に1人が何とか座れ一応3人乗りです。

飛行感覚は固定翼機で養われていたので上空を飛ぶことは直ぐに慣れます。しかし、ホバリングは別物です。時間がかかります。真冬の寒さの中汗だくでホバリングの訓練です。あと数センチと言うところで左右どちらかに流れ始めます。下の接地点と水平線の視線の配分が初めは難しいのです。危険だから教官が一瞬にして元の5フィートに戻してしまいます。

教官は親指と人差し指の2本でいとも簡単に接地して見せます。前進はスキッド(降着装置)の前方が丸く上に反っているので危険ではないが、後方と左右は危険で簡単に引っかかって転んでしまいます。芝生の上では芝生が柔らかく気流を受け止めてくれるので意外に簡単で出来るようになります。

しかし、訓練を終え駐機上のアスファルトに降りるときは又、一苦労です。

 

操縦席は丸いバブル(泡の形)で囲われおり、正面には何もなく水平線を参考にする機内のリファレンス(参考物)が右側中央にある35センチ幅位の低めの計器盤の上面だけです。またバブルの中央に速度を測るピトー管が15センチ位突き出ており、その少し上に10センチ位の長さの毛糸が3本貼りつけられています。

これは勿論ホバリング時は真下に吹き降ろされ、巡航中は前方からの風とプロペラブレードの吹き降ろしとで真上から左約30度傾くと横滑りのないバランスの取れた巡航飛行になるという超原始的なものでした。

頭上にプロペラブレードの軌跡がかすかに目に入ります。この薄い円弧も参考にしました。

 

こう言う原始的な装置で姿勢指示器がないので、終戦直前のテスト飛行で、飛行機のベテランテストパイロットが上昇中雲に入り、雲から出たらひっくり返ってそのまま地上に墜落してしまったと言う信じられない事故があったそうです。

姿勢指示器の無い時代、固定翼機の基本に「針、玉、スピード」と言う基本が有りました。急に雲に入ってもしばらくは姿勢を大きく崩す事なく飛行を継続できます。

Slip Indicatorと言う計器で、針は傾いた方向に旋回している旋回率を、玉(Ball)はSlip(横滑り状態を示す)、スピードは増えると降下している、減ると上昇していることを示します。

全く原始的ですが、この原理を理解し、計器を作ったのですね。しかし、ヘリコプターには通用しませんでした!!

 

ヘリコプターの原理を簡単に説明します。エンジンは操縦席の後ろに縦に立っています。435立方インチ約7000㏄、225馬力、回転数は常に3100 rpmです。これは絶対に守らなければいけない回転数です。ヘリコプターの操縦は別名 ”回転数の操縦” と言われました。計器は見ることが難しいので耳で音の変化を聞き分けThrottolをControlするのです。

ヘリコプターのコストがかかる理由は第一に、常に3100rpmを維持するのでエンジンの負担が大きい事です。離陸から着陸まで常に最高回転数でIdleにする事が出来ません。そのためオイル交換が25飛行時間毎でした。

第二に小型飛行機と違い全金属製で精密で動く部分が多いことです。そしてそれらのOver Hall、部品交換のサイクルが非常に短いのです。

第三にプロペラブレードの先端の軌跡がぶれ始めると振動が大きくなります。機体に良くない上、ビデオカメラの撮影に振動を与え影響が大きくなります。定期的にTrimtabを調整する必要があります。

第四に常に整備さんを乗せて移動します。夜間係留等はパイロットには出来ません。小型機は貸し切りで一泊することも出来ました。朝エンジンスタート前に簡単な外部点検と燃料タンクの水抜きと確認だけでした。

FO時代こんな事が有りました。FA-200、パイパーPA‐140の2機を借りて三宅島に遊びに行った事が有ります。調布でライセンスを取った同期と二人で借り切り、総勢8名でした。三宅島空港でTouch & Go Traningをした後、チョット空港の外に出たら楽しそうなので、一泊したいと思い会社に連絡したら、4時間分払うなら良いと言うので相談したら皆大賛成! 1時間12000円でした。ちょうど一人12000円の割り増しです。真っ暗な夜は民宿の近くの砂浜で花火を打ち上げました。砂浜と言っても火山の噴火の多い島です。真っ黒な小石の浜でしたが!その当時着陸料は安く1トン当たり150円位でしたか?2トン未満で300円、Touch & Go分払いました。帰りに大島空港でもTouch & Goをして着陸料を払って帰路につきました。処が私の操縦しているFA-200の燃料計がEmptyに近づき冷や冷やしながら多摩川の上を飛行し、調布飛行場に帰って来ました。

 

縦型のエンジンからマストと言われる太いシャフトが立ち上がり、約5メートル・幅50センチ位の大きなブレードが上から見て反時計回りに回ります。直径10メートル強あります。エンジンの力でブレードが回ると逆に機体は反対側に回ろうとする(反トルク作用)ので、その動きを抑えるために後方にある直径1メートル強のテイルローターのピッチを増やすため左ラダーを踏みます。しかし、ヨーロッパ製のヘリコプターは逆回転です。

因みにロシアのカモフヘリコプターは二重のプロペラブレードが逆回転するのでテイルローターが要りません。物凄く複雑です。

操縦桿を倒すと2枚のブレードの根元に2本づつ付いたロッドでブレードの角度(ピッチ)を変えます。Cyclic Pitch Controlと言い一周回る毎に、前進翼側のピッチを減らし、後退側のピッチを増やして左右の揚力を一定にする役目をします。勿論横に倒せば横に移動します。 

左手はコレクティブ ピッチレバーをコントロールします。上下させると大きなプロペラブレードのピッチが2枚ともダイレクトに変わります。上に上げるとピッチが増し揚力が増えます。しかし、抵抗が増えるのでレバーの先に付いているスロットルを外側に回します。レバーを上げながら外側に回し、下げながら内側に戻します。この時のスロットルの量は回転数を耳で聞いて音が変化しないように量を調節するのです。因みに現在のタービンヘリコプターはコンピューター制御です。

地上で停止中にエンジンを回転計を見ながら3100rpmにして、徐々にレバーを上げスロットルを回しながら浮き上がります。その時左足でラダーを踏みテイルローターのピッチを増し機軸をキープします。1.5メートル約5フィートでホバリングし落ち着きます。ここで操縦桿を静かに前方に倒すと前進します。少し傾き揚力が減るので沈まないように少しスロットルを増し5フィートを維持します。

ここからが不思議です。20~25マイル/hrになると急に浮き上がります。転移揚力効果 (Transratinal Flow Effect)と言います。そのままの姿勢で急に上昇を始めスピードも増加します。あとはスピードの増減は水平線と中央に突き出たピトー管の高さで調節します。

降下する速度は45マイル/hr、降下角度は7度、もちろん感覚です。何となくバブルの位置で覚えます。そして、100フィートから静かに機種を上げフレアーをして減速します。揚力が増えるので少しパワーを減らします。そして5フィートでパワーを増やして停止します。急激にフレアーするとテイルローターが地面を叩き危険です。

ヘリコプターには2種類のクラッチがあります。一つは遠心クラッチです。丸いクラッチ板の内側にIdle回転1800rpmdでは接触しないが、回転を上げると外側に広がり正規の回転数3100rpmになると遠心クラッチががっちりと固定します。もう一つは名称を忘れてしまいましたが、自転車の爪のような機構です。エンジンが止まった時ローターブレードの回転と完全に切り離すためです。

ヘリコプターの特徴として変わっていることは高速失速です。ローターブレードが長く、前進速度が限界を超えると、ブレードの先端速度が音速を越えてしまい、Gyro Presession(摂動)と言う現象で発生した位置から(力を加えた)90度遅れてその影響が現れ大きく機首が跳ね上がります。その為ヘリの速度は限定されます。直径を短かくしブレードの枚数を3枚〜6枚迄増やす事で対策を取ります。しかし限界は時速300キロメートル強までです。

もう一つはSettling with Powerと言う低速失速が有ります。急角度で早い降下速度で降下すると、自分のローターブレードで吹き降ろした気流の渦の中に入ってしまい操縦桿が効かなくなります。この2種類の失速は危険だから経験はできません。

楽しい科目はホバリングオートローテーションです。5フィートでホバリング中にスロットルを一気に絞ります。この場合は右足を一杯踏み込みます。スーッと沈み込み、感覚では半分くらい下がったらコレクティブピッチレバーを引き上げ、レバーのストロークの70~80%位で静かに接地します。外から見ているとほぼ水平だったローターブレードの面が上に持ち上がり15度~20度くらいの円錐形になります。接地してレバーを下げると水平に下がって回転を続けましす。大きくて重量の重いブレードの回転エネルギーを2~3秒で使い切るのです。

次はフルオートローテーションです。最初はパワーリカバリーと言い、1000フィートでレバーを一番下迄下げローターブレードのピッチをゼロにし、パワーをアイドルにします。速度45マイル/hr、降下率1700~1800ft/min位です。100フィートでパワーを出しながらフレアーを開始し、3100rpmに合わせ、最後に5フィートでホバリングに移ります。パワーの変化も大きく機軸を合わせながら停止位置に止めることも、最初は結構難しいものでした。でも慣れると意外と簡単でした。これをマスターし、ホバリングオートローテーションと組み合わせ最後までパワーアイドルで接地します。Full Touch Downです。 さぞかし教官は恐ろしかったでしょう!しかし、ホバリングオートローテーションと違い、停止した瞬間はピッチレバー位置は一番下でエネルギーが最大です。余裕を持って沈みに対応できます。

ヘリをやめて暫くした頃、浦安の埋め立て地で警視庁のヘリがこの訓練で失敗し横転したようです。ヘリコプターのローターブレードは大きく重いので横転したらその反動で必ず大破です。勿論火が出たらお終まいです。

ヘリコプターブレードはエンジンの力で飛んでいる時はブレードの上から下へ空気を吹き下ろしています。しかし、オートローテーション時は逆にブレードの下から上に気流が流れブレードに対して迎角を作り揚力が発生し、なお且つ機種により最適な速度で降下すると、揚力の前方方向へのベクトルがドラッグと釣り合い ブレードの回転数を維持するのです。フレアーすると一時的に揚力が増え、且つ、前方ベクトルが増大し回転数が増えます。マックス360rpmを越えないようにスムースなFlareをします。 

他の訓練科目を説明します。ホバリング中の1回転です。操縦席後方のマストを中心に左右に360度同じレイトで1回転します。マスト中心と操縦席は1メートル以上離れているので意外に難しい科目です。

次にスクエアパターンです。2種類あります。1つは機首が同方向です。まず、右に傾けて横移動し、停止します。そこでテイルが地面に接触しないよう約1フィート高くしバックします。ほぼ同じ距離移動したら停止し、高度を元の5フィートに戻し、次は左方向に移動し、停止し前方に移動し元の位置に戻ります。

2つ目は全て前進し停止位置で90度右(又は左)に回ります。最初は風に正対し前進します。ある距離移動したら停止し、90度右に向きます。そして前進し停止します。この動きを繰り返し元の位置に戻ります。

この科目は正対風、左横風、背風、右横風での正確な方向維持が出来るかの練習です。そして背風が一番難しい科目です。

全ての操作が一定の速度の維持と方向の維持が出来るかの練習です。パワステのない通称”8号”は大変でした。と言っても先輩たちはそれしか無かったのです。何とか私も何とかこなしました。

 

東京ヘリポートは辰巳団地の横に有ったのですが、訓練場はディズ―ランドのできる前の浦安の埋め立て地でした。

その後、夢の島の埋め立て地(現在の東京ヘリポートがある)が訓練に使えると言うので、先輩と二人でトラックに石灰を積んで、大きな○にHの字を描きに行ったのですが、トラックのタイヤがヘドロにハマってどんどん潜っていくのです。携帯電話のない時代です。何とか事務所を見つけて会社に電話しました。教官が迎えに来てくれ、なんと近くにいたブルドウザ―で引き上げてくれました。教官の自腹で結構な謝礼をしていましたね。

しかし15~20センチ下は未だヘドロだったのですね。良くブルが浮いているか不思議でした。その後は早くヘドロの水分を抜く技術を工夫したようです。

結局夢の島は暫くお預けで又、浦安に戻りました。

55年前の懐かしい思い出です。