表題の様に両方の固着を経験した人はいないと思います。それも離陸瞬間と離陸後1500フィートでした。先ずはロウテクの代表YS-11です。1月の寒い日、早朝に若干の雪が降りました。外部点検では特に雪が積もっているようには見えませんでした。メカニックの報告も除氷の必要が無いと言う事で通常通り出発を決めました。軽く積もっているようならブロワーで吹き飛ばし、翼に雪が残るような湿った雪が積もっている場合は、除雪氷する融氷剤を散布し再度凍らないようにします。降り続いている場合は、お客様の搭乗終了後5~10分かけて融氷剤を散布します。千歳など北国の空港でよく見かける事と思います。気温、降雪量の多少により簡易表から熱湯と融氷剤の分量を選択します。勿論、整備さんと確認しあいます。そして散布終了時間からの有効時間を専用インターフォンで連絡を受けます。そして有効時間以内に離陸します。YS-11は気温が高く離陸重量が多い時と雪氷のあるRunwayではメタノール水溶液を添加してPowerを増加します。YS-11は1200メートル運用として開発されたので、伊丹空港32Rは1800メートルなので比較的長いRynwayです。

TaxiwayでのFlight Control Checkも問題無く離陸を開始しました。離陸開始からElevatorを軽く前方に押し前輪に少し荷重を掛けます。 V R(Rotation)でElevatorを引いた処、固着して全く動かないのです。ウオーターメタノールも使用しているのでPowerは十分です。しかし、気温は零度、翼上を流れる空気は2~3度C下がります。水平尾翼とエレベーターの隙間の可動部分のヒンジに柔らかい湿った雪(Wet Snow)が残っていたのでしょう。離陸滑走中に2~3度下がり凍結温度になり急激に凍ったのです。

瞬間思いだしたのです!。Elevator Trimを引くことを! YS-11には直系30cmほどの大きなTrim Control Wheelが有ります。このWheelをカラカラと手前に回しカチンとStopperに当てたところ、何とかLift Off(浮き上がること)したのです。Elevator内後方にある小さなTrimが十分Elevatorの役目をしてくれたのです。Powerが有りSpeedも十分加速したのも幸いでした。なんとか離陸出来たので通常通り1000ftで左旋回し正面の宝塚市の丘を避け南に向かい高度を獲得します。そして、再度北方の日本海側に向かう上昇ルートです。神戸市六甲山の上空を過ぎ12000フィートまで上昇し、離陸後20分過ぎた頃やっとTrimがNeutral PositionになりElevatorが効き始めました。12000フィートの外気温度は-20℃以下です。想像するに氷から昇華(氷から液体を経ず気体になる事)して完全になくなるまでにこの位の時間が必要だったのです。この現象は丁度3年前、DC-9のFOから機長昇格のためのYS-11への復帰訓練で先輩機長とのFlight中に起きたのです。この時も彼は初めてでは無かった様です。これは滅多に起こる事ではないが、特に報告しなかったそうです。私は10年前FO昇格後2年間YS-11のFOをしましたが、このような経験はしませんでした。約3年間忘れていました。YS‐11の乗員間でこの情報は共有されているものと思っていました。しかし、そうではなかったのです。その3年後遂に悲劇は起こってしまいました。同じく機長昇格前の復帰訓練中でした。米子空港に於いて離陸を中断し滑走路先の中海(なかうみ)に突っ込んでしまったのです。幸い中海は浅く車輪が海底に届き沈むこと無く全員救助されました。この1年後の冬、乗員組合の有志がアラスカ州のアンカレッジ航空のYS-11をチャーターし何度も実験を行った結果、条件がマッチし固着が起こりました。パイロットミスではなかったことが証明されたのです。私はその頃YS-11のFIになったばかりでしたが、こういう経験をもっと話すべきだったと後悔しています。余談になりますが、この事故に遭われた乗員二人の出身は違うが入社同期に近く、FOは上司のパワハラを受け機長昇格の推薦を得られず、約1年後上司が変わったので改めて推薦を受けられたのでした。雪氷滑走路ではFOに離着陸をさせてはいけないのですが、FOはこのFlightを最後に機長昇格訓練の為羽田の訓練所に行くところでした。同期なので規定は破っても経験させる気持ちでした。大阪から米子空港に着陸し約30分後に離陸です。なんの疑問も抱いていません。弱い雪が降ってはいたが滑走路も殆ど雪も積もっていない状況でした、約30分地上に留まったいた短時間にWet SnowがElevator ヒンジに詰まったのです。もし、彼がパワハラに合わず順調に機長昇格していたらこの組み合わせは無かったでしょう。しかし、この時の機長が操縦していたらどうだったか?又は他の乗員の組み合わせでこの便のFlightが行われていたらどのような結果になっていたかと考えました。 YS-11の運航開始から15年も経っていたのに初めての事故でした。いくらか報告されていたのに何の対策もしていなかったようです以上また、規定違反は有ったが、事故はPilotの責任が無かった事が証明され間もなく機長復帰訓練が行われました。私も少しSimulator訓練を担当しましたが、1年以上のブランクと精神的なプレッシャーを感じさせない技量で私より上だなと感じました。この時のFOも暫く遅れて無事機長に昇格しました。又、乗員組合の有志の熱意は称賛されるべき努力でした!

次はハイテク機のElevator固着です。又、同じような経験です。しかし、今回は離陸滑走中ではなく離陸後1500フィートで離陸出力から上昇出力にした瞬間でした。Elevatorがガッチリと固着してしまいました。緊迫した状況ではなかったのですが一瞬驚きました。Elevatorが動かないので機首が大きく下がりました。「Elevatorが動かない!」と声を上げました。すると冷静なFOが「Stabilizerはどうですか?」と言うのです。ハット気が付きStabilizer Trim Switchを押すと動いたのです。ほっと安心して取り敢えずAuto PilotをEngageし、一息ついたのです。 

主翼下にあるエンジンは重心より下に在るので、Thrustを増やすと機首が上がり、減らすと機首が下がります。離陸推力から上昇推力にThrustを絞ったら機首が大きく下がろうとするので、先ずElevatorで支え、次に手の負担を軽減するStabilizer Trimを使います。上昇中、この状態で引き返すにも原因が分からないのでは無理なので、取り敢えず上昇を続けました。鹿児島まで1時間半有るので飛んでいる内に整備本部から対策を連絡してくれるだろうと考えたのです。暫くすると連絡が有りました。原因はPitch Feelだろうと言う事でした。低速ではElevator&RudderはFullに動くが、高速で大きく動翼を動かすと急激に効き始めます。機体に大きな負担を掛けるので、Speedに応じて動翼の作動域を狭める装置です。Upper Panel( 天井部分)に在るPitch Feel SwitchをOffにしたら問題無く動きました。原因が分かったのでそのまま鹿児島に向け飛行を続けました。降下中、宮崎空港上空で10000ft以下でAuto Pilotを切り Speedを低速の250Ktにして確かめたら動いたのでそのままManual Flight(手動操縦)で無事鹿児島空港に着陸しました。原因は電源やモードが切り替わる時異常電流が流れて高速モード(HighSpeed Mode)になるのではないかと言う事でした。高速モードでは舵角が2.5度に抑えられます。操縦桿は殆ど固着しているように感じられます。私が最初だったのかエアバスに情報が有ったのか分からず仕舞いだったが(恐らく報告は沢山有ったのでしょう)、その後数回起こりました。それもTaxi中のFlight Control Cheke中でした。なんと私も2回目の固着が起こったのでした。経験していたのでそのまま飛んでしまいました。しかし皆Taxiout Returnをしたようです。大阪・伊丹空港発東京行きが2~3便キャンセルになったことも有りました。エアバスも動いて対策が実施され一件落着でした。High Tech機の恐ろしさを経験しました。

その頃Airbus A‐320が問題を起こしていました。エアフランスの若手のエリートPilotが同期生と招待・遊覧飛行実施中、Runway上を100フィートの低空飛行し、そろそろ上昇しようとThrust Leveを進めたが全く反応せず、そのまま空港外の林に突っ込んでしまいました。全焼してしまったが、不幸中の幸いで3名の死亡者だけでした。あまり詳細は分からないが、対地100ft以下になると着陸モードになってしまい、Thrust Leverを動かしても反応しなくなるらしい。その場合Threshold前後 で急に沈んだらどうするのか? 実際には飛ばないComputer 技術者が作ったProgramの問題が起こしたのです。そして新型Airbus A320は就航したばかりで 、この機体は2番機であり、就航後数日しか経っておらずで全くの新品でした。初期トラブルの起こるのが当たり前の時期です。この機体の高度計は50~70フィート位の誤差を示す異常が毎回報告されていたそうです。 通常の旅客便の離着陸では高度計100フィートは一瞬にして通過するだけで全く必要がなく見過ごされてます。それ程急を要する故障とは認識されないでしょう!しかし、就航後数日で急に招待(遊覧)飛行が行われました。事前の準備、詳細な説明も十分ではなかったようです。誤差がハッキリ出てしまう100フィートと言う低高度で滑走路上を飛行するFlight Plan(飛行計画)でした。通常一定の高度をKeep(維持)するには姿勢指示器(又は水平線)と高度計(気圧高度計)のみ使用します。電波高度計では高度の維持は出来ません。地上の凹凸で変化が激しいからです。しかし、滑走路上では凹凸もなくFlatですから確認は出来ます。ここで副操縦士が一度でも確認すれば100フィート以下を飛んでいたことは認識出来たでしょう。しかし、より派手な低空飛行していると認識されていて気にも留めなかったと思います。まして、滑走路端からの上昇は全く心配していません。まさかPowerが全くでないと言う信じられない状況が起こるとは!優秀な若手のベテラン機長であり、メーカーと共同で開発要員として数年間関わってきたのです。FO担当も同期の機長でした。その二人がPowerが出なかったと証言しているのにも関わらずパイロットミスだと決めつけてしまったのです。Go Around(着陸復行) Switchを押せば急上昇出来たのか分かりません。しかし、恐ろしい事はフランス政府です。High Tech機として大々的に世界中に売り出そうとしているA320の欠陥を隠すため、Pilotの責任にしてしまったのです。責任を認めない機長を精神異常者として最後はPilot Lisenceを取り上げてしまったのです。航空業界も乗員組合も動きませんでした。否、動けなかったのが正直なところでしょう。信じられないことですが現在の中国・ロシアと変わりません。その後 死亡事故迄には至らなかったが、各国で色々な異常が報告されています。しかし、後進国で起こった事例は、レベルが低い国のPilotが起こしたのだと真剣に対応しませんでしたが、 実際には内部で秘密裏に改良していたようです。このFlightで大変な目に合った機長の本から抜粋しました。彼はその数年後インドに行きFlightは再開できたようです。そこでインドのPilotと一緒に飛ぶようになり、後進国のPilotのレベルを馬鹿にする事は出来ないと書いています。

又、Boaing737MAX 2機の連続墜落事故が報道されています。離陸直後に機体の姿勢を制御するシステムの誤作動が原因だそうです。その問題は内部で指摘されていたらしいが修正しなかったようです。大きくなり過ぎたメーカーはFAA(米連邦航空局)よりも技術も知識も上だと驕りが有るようです。「Boaing 747を作った男たち」を読みましたが、素晴らしい能力を持った技術者達が、同時に色々な機種を作り切磋琢磨していた話は読んでいて感動しました。今生きていたら嘆いている事でしょう。倒産して無くなってしまったが、パンナムの名前で一世を風靡した航空会社の社長の要求が厳しい中、超音速機とB747を同時に開発していました。超音速機は燃費・騒音の問題で時代を先走り過ぎたので敢え無く失敗したが、短期間の繋ぎと考えられ、遅れて一段低いレベルだと超音速機の開発陣に思われていたB747はジャンボのニックネームで愛称されベストセラー機として改良を重ね40年以上飛び続けました。現在は貨物機として活躍しています。又、最近アンカレッジ航空のB737が飛行中窓が吹き飛ぶ事故が有りまし。これはコスト削減を図り分社化した結果技術レベルの低下とBoeingの監視が行き届かなかったため起こったそうです。Boeingは再度引き取ることにしたようです。ジェット機は安易にコストの削減を図らず地道に技術レベルを向上してほしいものです。乗客、乗員の命が掛かっているのですから!