ジェット機の離陸は風が弱く何事も起こらなければとても簡単です。しかし、エンジンにとっては離陸前の静かなアイドル状態から8秒から10秒で最大パワー迄急激に増加するのです。そこで壊れてくれればまだ速度も上がらず、出火さえしなければ安全に止まる事が出来ます。

昔は滑走路に斜めに入りながらThrustを出して離陸を開始する人がいたようです。慣れて自信過剰になるとやるのでしょう。急ぐ必要は全くないのです。特に雨で滑りやすいのにやる人がいたようです。

現在のようなコンピューター制御ではない初期のエンジンです。エンジンが4発もあると少しは足並みも揃わないこともあるでしょう。そのためフライトエンジニアがThrust Leverを揃えていました。そういう事故が何回か発生し犠牲の上に現在のPocedureが出来ました。

滑走路で一旦停止して、”Vertical Position”とコールして、まずThrust Leverを垂直位置まで出して

全てのエンジンが40~50%のThrustが揃った事を確認してからAuto Thrust Buttonを押します。後はコンピューターがやってくれます。しかし手はThrust Leverの上に置き、エンジン故障に備えます。

然し、次第にスピードが上がり、ますますエンジンの負荷が高まり故障が発生する危険が高まります。

前車輪はRudderが連結されているので直進は楽です。 何も起こらなければ滑走路の端(Runway End)を見て直進します。突然片翼のエンジンが壊れると方向がずれ始めます。急激と言っても一瞬に推力がゼロになる訳は有りません。ある程度は徐々にと言うレベルですから、何回もSimulator訓練で慣れてくると、初動が分かり故障したエンジンとは反対側のRudderを自然に踏み込みます。殆どセンターラインを外すことは有りません。

V₁(ヴィーワン 決心速度)前ならば離陸中止です。Simulator訓練では事前にプログラムされているので、ほぼギリギリです。FO(PNF)役はスピード計を注視してコールします。

そのコールのワン直前で”ヴィー”の声を出したところで、”Engine failure エンジン故障”の声に変わります。

PF(Pilot Flying )はコールされる前に自然にGood Engine側のRudderを踏むでしょう。

ThrustをIdleにしてReverseを引きます。そこで、Auto Brakeが急激に効き始めます。こういう感じです。

V₁を過ぎると離陸続行です。Vr(Rotation)で引き起こし、Ⅴ₂(安全離陸速度)で上昇です。安全離陸速度とは「Critical Engine故障」と言う難しい呼び名がありますが、要するに双発エンジンで片方のエンジンが止まった場合、安全に上昇率を確保して上昇できる速度です。

両エンジンが問題のない時は、一気にこのスピードは超えてしまいます。

 

1996年6月13日ガルーダインドネシア航空DC-10が福岡空港で離陸中止して炎上しました。Rotationで引き起こした直後に右側No3エンジンから出火、数フィートLiftoffしたのにCaptainは離陸中止を決断、途中右側車輪が側溝に落ち折れ曲がり、34列目に着席していた3名のお客様が即死?又は意識を失って焼死しました。CAからの避難誘導はされず、CAは率先して避難したと言われています。乗客の大半は日本人だったので言葉が通じなかったと言い訳をしていますが、誘導は無かったと乗客に非難されています。1月2日のJAL516便とは雲泥の差が有ります。

機長は出火したのでこのまま火災が続いて飛行したら地上に大きな危害を与える危険が有ると判断したと証言しています。しかし、世界の航空界ではⅤ₁を過ぎたらどんな場合でも離陸続行し、火災/エンジン停止の処置を実施し、緊急着陸手順に従って着陸した方が安全であると認識されています。

 

その他、1972年羽田空港で雨の中滑りやすい滑走路に正対する前にPowerを出して、アンバランスな出力になりスリップして滑走路逸脱(Off Runway)が発生しました。こう言う時は必ずいくつかのエンジンが脱落します。幸い死亡者はおらず数人が負傷しました。

同じ年、金浦空港では高速誘導路から滑走路に侵入し正対する前にPowerを出してしまい、恐らく離陸出力のアンバランスで方向を維持できずOff Runwayしました。慣れて自信過剰気味になると起こりやすい事故でした。

又、1966年8月26日コンベアー880型機が羽田空港に於いて離陸失敗のため爆発炎上し5名の乗員が無くなりました。この日のフライトは航空局の試験官が同乗した限定試験でした。左からの風の中、離陸直後に右外側第4エンジンのThrust Leverを絞った処右に大きく振れてOff Ruway 、右主車輪が折れ胴体着陸の様になり爆発したと言う事です。このコンベアー880型機は開発途中から横方向のコントロールが難しい機体だと言われながら運航開始したいわく付きの機体でした。

訓練を終え晴れて航空局の試験で、風下側のエンジンを絞った不運なことも有ったようです。

蛇足ですが、この機体は前年日本国内航空が1年物の中古機を購入し、持て余してしまいJALにリースしていたのです。

 

話は変わり、私も死にそうな(今生きていますが)事態を経験しました。大分空港で副操縦士昇格訓練を行っていました。通常の離着陸訓練も終わりエンジン停止の段階に入りました。

Ⅴrで引き起こした処で静かに左側のエンジンを絞りました。当然右足のRudderを一杯踏み込むべきなのに、何と故障した側のRudderを踏み込んでしまったのです。左下にはヤンマーディーゼルの修理工場があり大きく赤い字で屋根に書いてあります。お客様から良く見えて宣伝になります。その屋根に左降下旋回で向かって行ったのです。思わず右足でRudderを踏み込み、大声で”足を離せーッ”

と叫びました。かろうじて難は逃れました。しかし、そのまま訓練を続行し、その訓練生は限定試験も無事に合格しました。Simulatorの訓練では10数回は実施します。離陸中止と続行の練習です。しかし、慣れていると思っていたが、実際の飛行機は違ったのでしょう。

 

約5年後エアバスの教官になったのですが、その頃欧米では訓練は殆どSimulatorになり、実機訓練は最後の離着陸訓練を数回行うだけになっていました。実際にエンジン停止の訓練を行う場合でも離陸して十分高度を確保してからThrustを絞る様になったのです。理由ははっきりとは覚えていないのですが、やはり各国の訓練で事故や失敗が有ったのでしょう! 

色々な規制、決まりが作られました。その大部分は何らかの事故による犠牲が有ったのです!