こんばんは、大島です。


物思いにふけていますと、“言葉のキャッチボール”について考えていました。といいますのも、障害者となり苦難困難ばかりですが、あからさまに人様は私と距離を置くものですから考えさせられます。


以前このブログで、“トルクレンチのようなもの”や“深み”についてお話いたしましたが、それをキャッチボールに例えるならば、“トルク力がない、深みがない”という会話は、キャッチボールで言うなら、ただ会話もなく自らの力試しとして力一杯投げ合うことではないか、と考えました。


福祉担当者は、“何かあれば連絡下さい”として挨拶だけとなり、弁護士も、“準備できれば連絡下さい”とひとまず離れます。


私が障害を背負いその準備もままならず、資金も足りないので放置するしかないのはわかります。

厳しいですが、彼らも仕事ですしね。


ビジネスにおいて言葉は論理的で冷たく感じるのは致し方ございません。ですが、経験と知識で深みを持ち対応力はがつき、目的に向かって手立てを提案し講じる力が深みになると思います。


が、そんな方と私は出会えておりません。


私生活でもそうです。私の言葉を返すことに専念なさいますが、どなた様も私を理解しかくないのか、怖いのか、と慮るところはございます。


多くの方がコミュニティが苦手なのでしょうか。


いや、多くの方は、コミュニティは好きだけど、思考することや学びを広げるよりも、男と女や大人と子どもといった社会的な階級から逃れたいのかもしれない、と今はひとまずオチをつけております。


皆様は良き週末を。