つれづれドバイ。

つれづれドバイ。

2009年5月ドバイ入り。
ドバイでの日常、そしてドバイでの子育て、息子のことをつれづれに。
2012年3月日本へ帰国しました。

OHSSのことも記録しています。

ご訪問ありがとうございます。


わたしがドバイに住んでいたのは2009-2012年までです。

そのころ写真アップにマジカルメーカーを使っていたのですが

いつの間にかアメブロのサービスが終了しており写真もすべて消えてしまいました。


そのため、本文の内容がわかりにくい部分もあります。

息子の記事もほぼ削除しています。


また、その関係で旅行シリーズも全編を載せているわけではなく、

抜けていることが多々あります。

Amebaでブログを始めよう!



6月初旬、予定日よりちょっぴり早く無事に第二子を出産しました。

哲朗が予定日の一日遅れで産まれたので、

この子もそんなに早くは出てこないだろうーとタカをくくっていたら、

予定日10日ほど前の検診で子宮口がすでに4センチも開いており…

手伝いに来てくれる母の予定もあるのでそんなに早く出てきてもらっても困るしなぁーと思って

「ばあばが来てから出ておいで~」とおなかに話しかけていたら!


ばあばが来てくれたその日の夜に陣痛が来ました(笑)



哲朗のときは子宮口がなかなか開かず、結果24時間もかかってしまいとってもつらかったので、

今回は臨月に入ってからどんどん動いて、

安産ハーブティーと言われるラズベリーリーフティーをがんがん飲んでたら、

夜11時半に陣痛が来て、夜中1時に入院して、3時に産まれてました(笑)


3868グラムというとってもビッグな男の子です。



久しぶりの赤ちゃんはほんとにかわいくて、

こんなに短時間で産めるんなら、もう一人くらいいいんじゃない!?

女の子がんばちゃう!?

なんて軽口をたたくくらいです。


でも実際はあれだけ治療してやっとの思いでできた子なので、

治療しない限りはできないだろうな、と悲しいながらわかってるんですけどネ。


第二子の名前は潤です。

6月生まれなことと、心豊かに育ってほしいという思いを込めて。

哲朗も相変わらず元気です。


妊娠報告もしたので一応出産報告でした♪

アメブロも久しぶりです。


6月~7月にかけてOHSSで入院したことはこちらにも書きました。

その後先生からずっと聞かれていた「生理みたいな出血」が7月中にあり、

8月中旬には「OHSSに関しては完治しました」と診断を受けました。


その後、入院した総合病院から、不妊治療専門クリニックを紹介してもらい

そちらで治療した結果、運よく1サイクル目で妊娠成立し、年始に妊娠5ヶ月になりました。


そちらの先生からは「ラッキーだったね」と言われたこの妊娠ですが、

OHSSになった後の治療は選択肢が少なくなり難しい、といろいろなところで読んだので

私の場合はこうだったと記しておきたいと思います。



「生理みたいな出血」はあったものの、

次の生理が起きそうにない状況だったようでまず

E.P.ホルモンデポー筋注1ml×1管

で生理を起こしました。


生理3日目から5日間(D3~D7)、

セロフェン50mg:1日2錠服用


それから6日間(D8~D13)、

ゴナールF75(FSH製剤):1日1回×6回注射


D14に

ブセレキュア点鼻薬(GnRHアゴニスト)一度点鼻


D15にタイミング指導があり、D30には妊娠成立を確認しました。



重度のOHSS経験者ということで、

今回の治療を始めるにあたって卵巣が腫れていないかこれでもかと行くたびに確認され、

ことあるごとに「体外受精も視野に入れてください」と言われて正直だいぶうんざりしていました。


もちろん、体外受精を頑張っているベビ待ちさんからしたら欲張りな願望なんですが、

うちは経済的にも体外受精はトライできる余地はなかったし、

夫婦間でも人工授精以降のステップアップはしないと話し合っていたので、

私たちの希望通りの治療が受けられるのか不安はありました。


やっぱりあれだけOHSSになってしまったからもう体外受精しか道は残されてないのかなとずいぶん悩みましたが、

とりあえず3サイクルは同じ治療を続けてみようと気持ちを切り替えた後、

運よくいい結果が出ました。


FSH製剤のゴナールF75というのは一日一本ずつ注射を打ったわけではありません。

少量ずつペン型の注射で自分のおなかに自己注射しました。


多嚢胞性卵巣症候群という、

卵を育てる薬を使うとたくさん卵が大きくなってしまう病気がある私ですが、

今回のこの治療でもいくつかの卵はやはり大きくなっていました。


FSH=卵胞刺激ホルモンで、卵胞を育てるホルモンです。



卵巣刺激にはhMG製剤がよく使われ、私がOHSSになった原因もこのhMG製剤ですが、

もともとLH(黄体化ホルモン:排卵を促すホルモン)が高い多のう胞性卵巣(PCO)の人には、

LHをほとんど使わないFSH製剤を使った方がよりいいそうです。


前回OHSSになったときとは違う薬を使ってはいますが、

違う薬を使ったからひどいことにならなかったのか、

違う薬を使ったけれど重症にならなかったのはラッキーだったのかは残念ながら判断できません。


OHSSで入院してもこういう症例もあるという一例です。



前回の流産と中絶のこともあって

今回の妊娠報告は5ヶ月になるまでほとんど報告もできず、

初期は毎日毎日ほんとに不安でした。


妊娠4ヶ月をすぎて体は楽になっても逆に胎動もない時期なのでまたまた不安ばっかりでしたが、

おなかの子はそんな母親の不安をよそに検診では上の子でも見たことないくらいグリングリン動いていたり…。


妊娠5ヶ月に入ったくらいからは胎動も少しずつ感じられ、

情けないですがやっと出産へ向かう「覚悟」みたいな気持ちも出てきました。


妊娠報告をすると前回のことがあるのでみんな「ほんとにおめでとう」って言ってくれて…

産まれる前からおめでとうおめでとう言ってもらえて、この子は幸せ者です。



ここでこういう報告ができてよかったと思っています。

予定日は6月中旬です。

元気な赤ちゃん産みます!!

結局私のOHSS入院期間は17日間、HCUにも入り、中絶手術を伴う最重症なものとなりました。



まさか帰国して2サイクル目の治療でこんなことになるとも思わず、

総合病院の先生も「同じ薬を使っても毎回OHSSの程度は変わってくるもの」とおっしゃっていたので、

薬に過敏に反応する体ではあるものの、ここまで副作用が出たのはたまたまだったのかもしれません。


保険会社へ提出する書類を引用してみます。


総合病院へ搬送されるまで:

・胸が苦しい

・尿が出ない

・腹水貯留

・両側卵巣5センチ腫大


初診時の所見および経過

・両側卵巣腫大

・胸腹水貯留

・超音波検査上明らかな胎嚢は認めないがHCGが上昇していたのでその後悪化していく可能性が非常に高く、入院管理とした。


・胸腹水の貯留が非常に急速に進行→対症療法的に腹水穿刺を施行したがさらに貯留程度増加

・血圧も一時50台にまで低下→HCU管理


HCUにて

・中心静脈確保、動脈圧測定カテーテル挿入、昇圧剤、血液製剤を用いて全身管理。

・その後も病状の改善が見られず妊娠継続は困難との判断から人工妊娠中絶手術。




保険屋さんはまず「中絶手術のお金が出るかどうか微妙なところです」とおっしゃってました。


保険会社によって、私のようにやむを得ず中絶した場合はお金が出たり出なかったりするようですが、

私の場合は中絶手術も保険適用されました。




OHSSで何が怖いかと言うと、血管から水が漏れ出てしまうことで血液がドロドロになって血栓ができてしまう可能性があること、

(なので、病院にいるときはメディキュットの医療用をずっと着用していました)

腹水・胸水がたまることで呼吸ができなくなること、です。



病院へ行くまではいろいろな方のOHSS体験談を読みあさりまくって、

自分のような状態は病院へ行くべきなのか、

これから自宅でおとなしくしていればよくなっていくのか悩み、


中絶を決断するまでは、これから良くなる可能性はちょっとでもあるのかたくさん調べ、


「自分はまだ大丈夫、まだ大丈夫」って言い聞かせていた部分がありました。



でも中絶を決断させてくれた先生の言葉、

そしてあれだけ強い薬をたくさん使って本当に赤ちゃんに何も影響がないのか、

「赤ちゃんが欲しい」という自分の希望だけでこれだけ周りに迷惑をかけていいのか、

たくさんたくさん考えました。



退院してからも寝たきりが響いて数日間強烈な筋肉痛があったり、

去年の流産も含めて二人もおなかに宿したのに産んであげられなかったことを

自分の中でなかなか消化できずにうじうじしたりしました。



退院3日後に診察に行った時も総合病院だから待たされることはわかっていたんだけど

周りに妊婦さんばっかりな状況がだんだんツラくなって待合で大泣きしてしまうこともありました。



でも体はすっかり元気になって、入院してたことがウソのようです。


これからの治療についてはまだ何も決まってないけれど、

何か吹っ切れたような気もするし、前には進めています。


今度はいい報告がここでできたらいいなぁー。