今こそ世界に求む!宝塚星組公演「王家に捧ぐ歌」を観てください( ;∀;) | pas à pas ~前進あるのみ☆おとなバレエ日記~

こんばんは。ここ3週間ほど土日祝関係なくぶっ通しで働き続け、もはや曜日も日付もわからなくなっているヤマダです。

 

でもバレエのレッスンと宝塚のライビュだけは死守しております。

 

今日も(あ、もう昨日か)朝から15時まで出勤(ちなみに休日手当は出ません…)したあと、16時から星組の「王家に捧ぐ歌」のライビュを観てきました。

 

この作品はオペラの「アイーダ」の宝塚アレンジ版で、脚本・演出は通称キムシンこと木村信司先生。

 

このキムシン先生、宝塚の座付き作家としてはかなり異色で。ご自分のメッセージをかなり色濃く作品に反映される方です。

 

それだけならともかく、言葉のチョイスもだいぶ個性的。さらに演出もしばしばぶっとんでいるので、観客によって刺さる人には刺さるけれど、合わない人にはとことん合わない、という脚本・演出家であります。

 

「王家に捧ぐ歌」はキムシン先生の出世作で、2003年に星組で初演された後、2015年に宙組で再演されており、宝塚ファンならみんな知ってる名作なのですが、、、

 

ヤマダ自身は2015年宙組版をケーブルテレビで一度見ただけ。そのときはとにかく変な歌詞に気をとられて気が散ってしまい、ぜんぜんストーリーに没入できなかったのです。(※生徒さんたちのせいではありません。歌詞のせいです。)

 

どんだけ変な歌詞かって?

 

筆頭格の通称「スゴツヨソング」は宝塚ファンならだれでも知ってるトンチキソングとして有名です。

 

エジプトの女官たちが「エジプトはすごい エジプトは強い」「エジプトはすごくて強い♪」とコミカルに歌い、しかもコーラスで「スゴスゴツヨツヨ」と畳みかけてきます。

 

もはや宝塚ファンの間ではネタとして市民権を得ているばかりか、形容詞として普通に使用されている「スゴツヨ」ですが(使用例:「今の星組の若手男役ってほんとスゴツヨだよね~」)、初めて聞いたときは、「これが宝塚の座付き作家が紡ぎ出した言葉なのか?!」と呆然としたものです。(劇場で観劇してなくてよかったです。生観劇だったら舞台上で熱演してる生徒さんたちに対してどういう反応をしたらいいのか絶対困る案件)

 

だいたい、「すごい」っていう形容詞、話し言葉の中では自分も濫発してますけれど、学術・芸術において、「すごい」という終止形でかつ単独で使うこと、ないですよね。

 

さらに「エジプトはすごく強い」ていう歌詞なら納得できるけど、「エジプトはすごくて強い」だなんて、小学生の作文じゃないんだからやめてくれーーーー、と叫びたいぐらいです。

 

あとは、「王家に捧ぐ歌」の名曲中の名曲とされている「世界に求む」。

 

ラストの「そーーーんなー世界をーーー私はーーー求めてーーーゆーーーくーーー」っていう部分のくだりの字余り感が許せなくて。

 

なんでこの曲が名曲とされるのか、イマイチ理解できなかったんです。

 

こんなふうにいちいち歌詞にひっかかりを覚えてしまい、ケーブルテレビで見た後の感想は「名作とされてるかもしれんけどキムシン先生の言葉の選び方は私には合わない(怒)」でした。

 

ところが!

 

今日のライビュでは、宝塚屈指の歌ウマ・礼真琴が演じるラダメスとこれまた圧倒的な歌唱力を武器に宝塚史上最強アムネリスと称されている有沙瞳さんに圧倒され、歌詞のヘンテコさがまったく気にならなかったんです。

 

むしろ、直截的な歌詞がグサグサと心に刺さってくる!

 

まさに、歌ウマは正義。これぞ、歌ウマは正義。

 

歌唱力といっても、単にテクニックだけのものではなくて、魂の叫びをナチュラルに歌に乗せられる力。

 

圧倒的歌唱力でねじ伏せられたヤマダは、歌詞がヘンなことや字余り気味なことなんてこれっぽちも忘れてしまい、ただひたすら世界の平和を願うのでした・・・

 

もはや、チャ~ンチャ~ンチャ~ンチャ~ン♪と「世界に求む」の前奏が流れてくるだけで涙腺が崩壊する始末。

 

この曲は、圧倒的な国力を背景に、絶え間ない侵略戦争に身を置くことで政権の安定を図るエジプトの将来を憂い、エチオピア戦で功を立てたはずの将軍ラダメスがファラオに対して自分の切なる思いを歌い上げる曲。

 

これこそが「王家に捧ぐ歌」であり、この作品のタイトルロール。

 

「戦いに終わりを この地上に喜びを

人みなひとしく認め合って お互いを許せるように

 

たとえ今は夢のように思えても

この身を捧げて そんな世界をいつかきっと」

 

礼真琴さんの魂をゆさぶる歌声を、

 

プーチン大統領にぜひ聴いてほしい( ;∀;)

 

いや、プーチン大統領だけじゃなくて、NATO加盟国の首脳にも、

 

いやいや、全世界の人々に聴いてほしい

 

「王家に捧ぐ歌」、2003年に初演されたときは、イラク戦争のまっただ中だったそうです。

 

今回は奇しくもロシアのウクライナ侵攻にシンクロしてしまいました。

 

今、このときに、平和への祈りがテーマの「王家に捧ぐ歌」が上演されるなんて。

 

偶然とは思えない巡り合わせ。


以前はヘンテコだと思ってた歌詞が胸を打つ理由には、ここ数日テレビで伝えられるウクライナの窮状が目に焼き付いていることもあるかもしれません。

 

ところで、今回の「王家に捧ぐ歌」ではシンプルに一新されたビジュアルも話題になりました。

 

てゆーか、ありていに言うと、ポスターが発表されたとき、ラダメスの衣装にSNS上には「ワー〇マンで買ってきたんか?!」という落胆と怒りの声が溢れておりました。

 

ご参考までに。

今回のビジュアル↓

 

 

2015年宙組のビジュアル↓

 

 

2003年星組のビジュアル↓

 

 

開演してからも賛否両論喧々諤々のビジュアルですが、ヤマダはこれはこれで正解だったと思います。むしろ好みかも。

 

従来の、いかにも古代エジプト然としたキラキラの衣装はまさに宝塚の夢の世界を具現化したものですけれど、

 

今回の現代風でシンプルな衣装に変えたことで、争いのむなしさや希望の大切さを訴えるこの作品の普遍性が際立つ結果になったのではないかと思うから。

 

シンプルなビジュアルに変更することで、「エジプト」「エチオピア」という舞台はあくまでも象徴に過ぎず、いつの時代でも世界の何処ででも起こり得る物語なのだという説得力が増したんじゃないかと思います。

 

私はキムシン先生の作品は片手の指で数えられるほどしか見ておらずまだまだキムシンビギナーなのですが、ひょっとすると、この先生の作品はビジュアルをそぎ落としてシンプルにしたほうが映えるのかもしれないと思い始めました。

 

まぁ、自分が従来のビジュアルに思い入れがないからそう思えるのかもしれないです。もし自分が従来のビジュアルのファンなら激怒してること間違いなしでしょうから。

 

ともかく、映画館の座席からなかなか立ち上がれないほど、圧倒され、心を揺さぶられました。

 

泣きすぎて目が痛いです。

 

仕事持って帰ってきたのに、全然手に付かず、こうやってブログ書いてる始末。

 

今こそ。今こそ、新ビジュアルで普遍性を深めた「王家に捧ぐ歌」を世界中の人に観てほしいです。

 

宝塚歌劇団様、お願いです。せめて「世界に求む」の歌だけでもいいから、多言語で字幕つけてYoutubeで公開してください・・・(´;ω;`)