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5月たくさん応援をありがとうございました。6月もよろしくお願いします。
標記のことについて、聖書からメッセージをさせていただきます。
私たち人間のからだは、最初神によって造られたときは死ぬことのないものでした。ところが、アダムが罪を犯したために罪が私たちの中に入り、からだは死ぬべきものとなってしまいました。
キリストの御死は私たちのたましいを贖い、私たちのからだをも死から贖うため、すなわち死の支配から解放するためであったのです。
キリストは贖いの御業を成就されて、復活によって永遠に死の力を打ち破ってくださったのです。
そして再臨の時、すでに死んでいる信者のからだを栄光の姿によみがえらせ、生きている信者をご自身と同じ栄光のからだに変えてくださるのです。このことをからだの贖いと言います。
このように、たましいの贖いとからだの贖いとを切り離すことはできません。
聖書は、「もし信者がよみがえらない(からだの贖いがない)のなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」(新約聖書コリント人への手紙第一15章16、17節)と語っています。
「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」(新約聖書ピリピ人への手紙3章20、21節)
「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」(新約聖書コリント人への手紙第一15章52節)
ご覧いただき、ありがとうございました。
今月も日本で世界中で小さないのちが守られますように。
ひとりとして、一匹として苦しい思いをすることがありませんように。