万物の創造主の存在を否定した人々は、人類の存在の原因を説明するために、進化論という哲学を作り出し、人間は偶然に発生した単細胞が偶然に進化して動物になり、その動物が変化したものだと主張を唱えるようになりました。要するに、人間は偶然に発生した存在なのだから、人間に生きる目的はない、だから人間も動物と同様に本能の欲望にしたがって、それを満足させるために生きるしかないのだと進化論哲学は主張しています。
ロシアと中国は共産主義を実践すれば、その国民が幸福になるかならないかを実験しました。彼らは大きな代価を払って、共産主義は国民を幸せにすることができないことを証明しました。
また、アメリカの市場至上主義は、世界の経済を回復不可能なほど混乱させました。人間の欲望が人間を幸せにすることができないことを証明したのです。聖書ははるか前から人間の欲望が人間を破滅させることを語って来ました。
新約聖書ルカの福音書の第15章11~23節には放蕩息子(ほうとうむすこ)のたとえ話が主イエスによって語られています。父に対して大きな罪を犯し、父から息子と呼ばれる資格を完全に失ってしまった弟息子の話です。それでも父に対して罪を犯したことを深く反省し、悔い改めて帰って来た息子を父は深く憐れんで、よく生きて戻って来たと大喜びする話です。父親は、息子と呼ばれる資格を完全に失っている息子に最上の着物を着せ、指に指輪をはめ、足に靴を履かせることによって、彼を再び息子として受け入れることを表現しました。
さらに、父親は肥えた子牛を屠って料理し、大歓迎パーティーを開きました。これは実に美しい和解の実例です。父親は創造主であられる父なる神様のことで、肥えた子牛は神の御子イエスのことで、そして放蕩息子は私たちのことです。父なる神様と私たちが十字架に付けられた御子を間にして、御父はキリストを信じる私たち救ったことを喜び、私たちは救われたことを喜び、神様の豊かな恵みのすばらしさを味わわせられています。この祝宴には終わりがありません。24節に「祝宴を始めた」という言葉はありますが、祝宴の終わりは記されていません。キリストを私たちの救い主と信じる私たちの祝宴も始まったばかりです。
私たちも罪過(ざいか)と罪の中に死んでいましたが、イエス・キリストによってよみがえらされました。罪の中に失われていた私たちを神は見出だしてくださったのです。ハレルヤ!
今あなたは心からこう言えるでしょうか?
「私は本当に幸福です。私は神様の子どもにしていただき、天国での永遠のいのちを持っています。私は永遠の幸せを神様からいただきました」
もしそうでないならば、日曜日にはお近くのキリスト教会へ勇気をもって行かれて、キリスト十字架の福音(ふくいん)を信じて、あなたも救われてください。心からおすすめ申し上げます。
今日も世界中で小さないのちが守られますように!
ひとりとして、一匹として苦しい思いをすることがありませんように。
ご覧いただき、ありがとうございました!