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新約聖書ヤコブの手紙第1章1節のみことばをご紹介させていただきます。


「神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている12の部族へあいさつを送ります。」(ヤコブの手紙1章1節)


ヤコブの手紙の著者は、このみことばにもあるように、主の兄弟ヤコブです。12弟子のひとりであるゼベダイの子ヤコブは、かなり早い時期にヘロデ王によって殺害されましたので、この書簡の著者である可能性が非常に低いからです。


福音書の中では、主の兄弟たちは信者として認められていません。むしろ、彼らは主イエスをただの人間としてしか見ることができない不信仰の者たちとして記されています。しかし、使徒の働き1章によると、主の兄弟たちは、「エルサレムを離れずに、わたしから聞いた御父の命令を待て」(使徒1章4節)という主イエスの命令に従って、聖霊が天から下って来られるのをエルサレムで待っていた群れの中に加わっています。

「そして彼らは町に入って、泊まっていた屋上の間に上った。ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子たちであった。この全ての人々は、婦人たちとイエスの母マリヤ、そしてイエスの兄弟た                                                                                                     ちと共に、心をひとつにして祈りに専念していた。」(使徒1章13、14節)

このことを見ると、ヤコブが主イエスを信じたのは、主イエスの復活の後であったと考えられます。コリント人への手紙第1の15章には次のように記されています。「そして、キリストは、ケパに現れ、その後、12弟子に現れ、その後、500人以上の兄弟たちに同時に現れられました。その中の大部分は今なお生きていますが、少数のものはすでに眠りました。(肉体的に死にました。)その後、ヤコブに現れ、その後、全ての使徒たちに現れられたことです。」(第1コリント15章5~7節)


「国外に散っている12の部族」とは、文字通りイスラエル人を意味しています。

紀元前722年にイスラエル王国はアッシリヤによって滅ぼされ、イスラエル王国を構成していたイスラエルの12部族中の10部族の大部分はアッシリヤに連れて行かれました。そして、わずかな者がユダ王国に逃げ込んで来ました。そのユダ王国も、紀元前586年にバビロニア帝国によって滅ぼされ、住民のほとんどが捕虜として連れて行かれました。その人々は、ほとんどがユダ族とベニヤミン族でした。しかし、その50年後には、バビロニア帝国を倒したペルシア帝国のクロス王がユダヤ人たちに帰国を許し、エルサレムの町の再建を許可しました。しかし、その時帰国したユダヤ人は約4万2千人にすぎませんでした。(旧約聖書エズラ記2章64節)

その80年後に、総督に任命されたネヘミヤと共に、数万人のユダヤ人が帰国しました。その他にも、徐々にユダヤ人がバビロンから帰国したようです。しかし、多くのユダヤ人はバビロンに居残り、またそこから他の国々に移住して行ったのでした。

アッシリヤに連れて行かれたイスラエルの民は、異邦人がサマリヤを占領して住み着いてしまったこともあり、諸外国に住み着いてしまいました。

しかし、彼らは、どこに行っても自分たちがイスラエル人であるという自覚を捨てずに、会堂を建て、その周りに住居を構えて特別なコミュニティーをつくって生活していたのです。中には、完全に異邦人に同化してしまった者たちもありましたが、強固な民族意識を保って、毎年エルサレムの町にある宮で祭りを守っていた人々もありました。

福音書の中にも、そのようなユダヤ人たちが、主イエスについてのうわさを聞いて、非常な興味を持って、祭りの時にエルサレムに来たことが記されています。特に、キリストの復活の後の最初のペンテコステの日には、そのようなユダヤ人が大勢エルサレムに集まっていました。その人々に向けて、聖霊は彼らの生まれ育った国のことばで福音(ふくいん)を聞かせてくださいました。彼らは聞いた福音を信じ、それを自分たちの国に持って帰り、人々に福音を伝えたのでしょう。彼らが黙っていたはずがありません。彼らの働きによって、諸外国に寄留しているユダヤ人に福音が宣べ伝えられ、信者が起こされました。そして、そのユダヤ人信者たちは、キリスト信者の集まりを持ったことでしょう。しかし、まだ教会の真理が教えられていなかったので、ユダヤ教からの分離は十分でなかったのでしょう。

さらに、ステパノが殉教死した時の教会に対する迫害で、多くの信者が国外に追放されました。彼らは財産を没収され、ある者は鞭打ちの刑をうけました。(使徒の働き6章7節~8章8節、ヘブル人への手紙10章32~34節)


この時、国外に追放されたユダヤ人信者たちも、寄留先で彼らの集まりを持ったことでしょう。そして、彼らもエルサレムの教会と関係を持ち続けたはずです。ペテロもヤコブも、彼らの置かれている困難な状況を聞かされ、彼らを励ます必要を強く感じさせられたのでしょう。その結果がこのヤコブの手紙であり、またペテロの手紙なのです。


ヤコブの手紙は、ユダヤ人信者に宛てられています。それに対してパウロの書簡がユダヤ人と異邦人との区別なしに全信者宛てに書かれています。ペテロの手紙第1と第2も、宛先は諸外国に寄留しているユダヤ人信者ですが、その内容は特にユダヤ人信者に限っていません。しかし、ヤコブの手紙は、教会内に異邦人信者が存在していることが全く意識されていません。また旧約聖書の箴言からの引用が非常に多く、特に宗教慣れしたユダヤ人に対する、非常に厳しい警告、戒めが多く見られます。



今日も日本で世界中で小さないのちが守られますように!


ひとりとして、一匹として苦しい思いをすることがありませんように!



最後まで、ご覧いただきありがとうございました。


みなさま、どうぞすてきな週末と週の始まりをお過ごしください!