新しい1日新しいいのちをくださった父なる神様の深い憐れみと恵みを覚えて感謝します。
私たちの罪のために、わたしの罪のさばきの身代わりとなって十字架の上でいのちを捨てるために、人の姿となってこの世に来てくださった神の御子イエス・キリスト様に感謝します。
葬られた後3日目にサタンの支配するところの死の力を完全に打ち破り、よみがえられた全知全能なる神の御力とご栄光を心から誉め称えます!
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標記のことについて、神のみことば聖書から
『そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」
神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです。』(ヘブル人への手紙13章6~8節)
「主が私の助けです。私は恐れません。人が私に何ができましょうか。」これが、私たちの日常の信仰告白であるべきです。
使徒ペテロに使徒ヤコブ、またステパノ、ピリポたち。ヘブル人のクリスチャンたちは、この人たちの信仰生活を模範にすべきでした。私たちも真実に主イエスの弟子である人々を見習うべきです。私たちは、神を全面的に信頼している伝道者、宣教師を見て大丈夫なのだろうかと不安に思ったりします。その反対に、人間的な手段に頼っている人々を見て、一種の安心感を持ったりします。しかし、明確に証言できることは、神は神を信頼する者を決して裏切らない方であり、神を信頼して来た者は大きな祝福と勝利を得ることができるということです。
主イエスが地上におられた時、先ずイスラエルの民にご自分を彼らのメシヤとしてお示しになり、その証拠として奇蹟を行われました。千年王国では全ての病人が癒されるからです。
ところが、彼らは、その奇蹟を見ていながら主イエスをメシヤとして信じ受け入れることを拒んだのです。彼らは神に従うよりもサタンに従う道を選んだのです。
ですから、神の国は彼らから取り上げられてしまいました。そして、キリストの復活の後、十字架に付けられたキリストによる罪の赦しが全人類に宣べ伝えられる福音伝道が始まりました。これは罪人に対して、悔い改めてサタンから神に立ち返り、神と和解せよと命じる宣言であり、神がキリストを信じるすべての者の罪を赦し、永遠の地獄におけるさばきから、救ってくださるという救いの宣言です。
人を悔い改めに導き、神を信じる信仰を与えるのは十字架のことばであって、奇蹟ではありません。キリストによる、あのようなすばらしい数多くの奇蹟も、ユダヤ人に罪の悔い改めを与えなかったのです。ですから、「イエス・キリストは昨日も今日も、永遠に同じです」ということは、主イエスが今日でもいやしなどの奇蹟をもって福音伝道の働きを行っておられるという意味ではありません。
主イエス・キリストは現在も、私たちの祈りに答えて病人を癒されることがあります。しかし、それは神の御栄えになると主がお考えになった時です。主イエスは常に同じであられ、永遠に変わることがありません。しかし働きの方法は時代によって異なります。
このみことばは、「あの指導者たち」が信頼したイエス・キリストは、今も変わらず、信頼する者を助け、支え、祝福してくださる御方であり、永遠に変わらない御方であるという意味です。
イエス・キリストは神様ですから、永遠から永遠に、今も生きておられます。
神様は罪をさばかれる聖なるお方です。
また、神は愛です。
あなたは困難な時もひとりではありません。
あなたは神様から愛されています。
私たちが彼(イエス・キリスト)に心から信頼するならば、彼は私たちを全能の力で支え、見守ってくださり、いつも私たちと共にいてくださいます。
今日も小さないのちが守られますように!
ご覧いただき、ありがとうございました!
みなさま、8月の残りすてきな日々を!