新しい朝さわやかな風が吹く中、小鳥たちがいちばんに「神様ありがとう」と歌っていました。
切られてもなお生えてくる美しい樹木に、植物たちの生命力の強さと逞しさを感じます。
主イエス様の復活を信じる信仰によって、新しいいのちをくださった父なる神様の憐れみと恵みをおぼえて感謝します。
私たちの罪のために十字架の上で死なれ、そればかりでなく、墓に葬られた後3日目に死の力を打ち破りよみがえられた御子イエス・キリスト様の愛と復活のご栄光を心から感謝し誉め称えます。
聖書から
「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。
彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」(旧約聖書イザヤ書53章1~3節)
御父は世人を愛して御子を遣わされました。そして、御子をこの世の罪人の身代わりとして十字架につけてくださいました。主イエスも世の人を愛し、彼らの救いのために御自分を捨ててくださいました。しかし、この世は御子を憎み、拒み、十字架につけました。神は決してこの世の思想、哲学、宗教観を愛しておられません。神はそれらを非常に激しい憎しみをもって憎悪しておられます。それは、それらがサタンに属するものであるからです。
聖霊は「私たちが聞いたことは、だれも信じることができないほど不思議なことである。主の御腕、すなわち御力はだれに現れたのか、実に、人によってさげすまれ、見捨てられたこの御方に現れたのだ。この方こそ、全能の神の御力の現れであられたのだ。」と語っておられます。
若枝は、非常にもろいので、ちょっとしたことで折れてしまいます。主イエスは弱々しく注目を浴びることもなく育てられました。「砂漠の地から出る根のように育った」とは、水の乏しい地で、生きているのかいないのかが分からない木の根のように、主イエスは人には知られず、貧しい家で育てられたということです。成人された時も、主イエスはただの普通の顔つきで、ハンサムなところは全くなかったのです。
主イエスのお顔には、常に悲しみが宿っていました。全てを知る力を持ちつつ、憐れみに満ちた心を持った御方が、サタンの支配下にある悲劇に満ちたこの世にあって、悲しむことなく過ごすことは不可能です。
人々は光である神を愛して神に従うよりも、神に反逆するサタンを愛することを選び、サタンに従っています。
人類のあらゆる悲劇、病、死の原因は罪です。
この罪と死に完全に勝利された御方は、復活でそれを証明された主イエス・キリストだけです。
この世は悲劇に満ちています。もしこの世の中で、人は自分は幸せだと喜びながら生きることができるならば、その人は、人を憐れむ心が全くないか、他人のことに全く無関心でいることができる薄情な人であるかのどちらかです。
今日も小さないのちが守られますように!
みなさま、連休最後の1日すてきな午後を!