決めた。
わたしの活動的には20晩ほど要した気分だ。そして肉体に告げた。
「わかりました。」そういうとこの広大な白い袋のように距離も高さも分からない部屋はプチンとテレビの電源が切れるように線となり暗闇に包まれた。目を閉じても、開けても周りを見渡しても何もない。闇だ。もちろんそこには体もなく、意識のみが辺りの様子を探っている。これでいい。これでいいんだ。わたしは幾度となく問いかけた結果をもう一度確認した。
ここに至るまでに、ヤツに確認したことがある。同じなのか、同じなのかと同じ質問を繰り返し、ヤツは「同じです。」と繰り返した。
生まれも育ちも、幼少期も疎開先も赤札も敗戦も高度経済成長も同じ気持ちで初めて経験することになる。奇跡と思っていたことはヤツは3回経験済みだが、わたしは涙して喜びに身を置くだろう、悲しみも同じ。バブルもはじける。年もとる。大きな過ちを犯し、ひとりの人生を狂わせる。妻にも先に発たれてしまう。そういう人生だ。わたしに限らず多くの人は良いことを覚えており、悲しいこと辛いことは忘れて生きている。そういう風に人間と言うものができているから仕方ない。それが人間の良さであり弱さといってもいいだろう。
同じか「おそらく」という。思い出せるだけの、喜びと悲しみと平穏に満ちた人生をすべて確認する。思い出せるだけ思い出し、肉体の中の者に問いただす。
違うかもしれない場合は言ってくれ。そういうとひとりで問い続けた。予想どおりヤツは一言も発せず、思いつくまま己の人生を振り返る精神を見続けた。
全部同じなんだな。吐き尽くすだけ吐き尽くすのにそれほど時間はかからなかった。82年の人生は覚えているだけのことすべてでもそれほど多くはないのだ。
誰かがいれば、忘れかけたことを思い出させ記憶の断片を繋ぎ描くことができる。しかしひとりではこれがすべてだ。そう思えるほど吐き出したが、なんとなく虚しさを覚えた。
4回目の人生は、繰り返さない。これが結論だ。同じことを繰り返すからだ。少なくとも3回目の時点でわたしはなんらかの決意と希望と欲によって現世に戻り今に至るはず、それがどうだろう。1回目と2回目は違うが、2回目と3回目は全く同じだ。仕方も無い、記憶もなく、偶然も必然でおなじ環境、同じタイミングの世界で同じことを思い、同じように悩み、同じように決断した。それはわたしの意思でだ。自分と誰かによって築かれたわたしという精神が選んできた道は結局同じところに辿りつき、同じことを考える。もしかすると3度目の時、これが最後だ。4度目はない。そう思い現世にもどり同じことを繰り返したのかもしれない。
死んでこの世界にきてやっと自分というものが見えたよ。死ぬのも悪くない。そう言って肉体に選択の答えを告げたのだ。
今は暗闇の中、考えるのも辞めた。考えたところで生き還るわけでもない。そして新たな境地に辿りつくほどのものはない。わたしの精神はわたしの経験した82年の人格でしか物事を見られず結局、同じことを3度繰り返した。変えられるならと望んで生きたところで変わらないのだ。もちろん、変えようとして変えたこと苦渋の決断により切り開いた未来もあった。それも3度目であった。同じように乗り越え、同じように洗練されていく自分をもう一度経験しようとは思えなかった。4度目の人生でまたヤツに会ったときに、見せられたグラフが2、3、4と同じならまさしく5度目は考えないだろう。
だからこれでいい。一生懸命生きたじゃないか。幸せだとおもって笑って死ねたじゃないか。生にすがりもがくのは生きている時だけでいい。それがわたしの答えだ。
寒い日に湯船に浸かり、からだで温度を吸収しているとふいに「・・・ということならどうする?」とボクの中の天使か悪魔かが囁いた。
