延命治療 積極的治療 | 脳と心 ~やる気スイッチ~

脳と心 ~やる気スイッチ~

心って?
心臓は心の臓器じゃない

結局は人間、脳だと思う。
相手の脳を愛せるか。

しかし色々な本で「心」の存在を目にする。
心って難しい・・・

何かに共感したり、
少しでも心の健康につながれば幸いです。

最近、「おくりびと」のような環境にいる自分…。
そして、人の最期、命が医療によって操作されてしまう感が否めないと私は感じて日々を過ごしています。少し病んできたのかな~(^-^;)

前回はターミナルケアの本の話題、今回も似たタイトルですが、終末期医療について考えていたところ、ガイドラインが来月2018年3月に改訂されるとの文章が目に入ってきましたので、またこの路線に。

「終末期」という表現の枠を広げた解釈とも捉えられる
「人生の最終段階における医療」として、ガイドラインが出ていましたが、更に来月にはその改訂がなされるとの話です。

読んでいると、一般的に昔のイメージで抱いている、一度人工呼吸器をつけたら、外せないから慎重に決めなくてはならない。という概念が覆されます。挿管中止、呼吸器の中止から、、
もっと身近なものになってきていて、経管栄養の中止や、点滴の中止、人工透析の中止。
そして死因第三位にあたる「肺炎」の治療の中止や、もう最初から治療をしないなども。

高齢者は、肺炎を繰り返されることが多く、治癒しないこともある。それにより死期を早めることもある。繰り返される苦痛を緩和するためにも治療をしないという選択肢。
見通しで治療をして良いことになる?奇跡的に軽快ーという回復がなくなっていく?


なんとなく背景には高齢化、治療費の行き詰まり、肺炎患者の増加、そんな社会的背景が見え隠れします。

意図的に死を早めるものであってはならないとしながらも、結果論では、そうなると思ってしまう。

認知症が背景にあり、高齢者で、家族も高齢者。正直、家族や、キーパーソンも、判断力が低下しているような状態もあります。そこでの延命治療の中止って、なんだか切なさが残ります。

多種多様な状態があり、一概に言えませんが、、、
ある程度コミュニケーションも図れていて、本人が死にたいと話しているから、それを本人の意思として尊重し、延命治療を中止して、確実に数日、下手したら数時間~十数時間で死に至るまで見守るだけなら、それこそ病院へ置いておかずに、自宅へ連れて行ってあげるべきでは?と思ってしまいます。

でも、これも今の時代、本人の希望で、自宅より施設や病院で死んだほうが、迷惑にならないから。と家で最期を望む人も減っているようです。本心はどうなのかは本人しか知らない世界。私も、病院希望かな。。
生前意志書?リビングウィル♪(笑)
挿管、レスピ、PEG、CV、透析、心マ不要でお願いします。

これも永遠のテーマなのか、いつか線引きされるのか、
「延命治療」と「積極的治療」の言葉の差?

入院時によく書くことがある「延命同意書」
あの書式も、医療機関により様々ですが、見直しというか、もっと細かく明確にしていくとか、変えないといけないと思う。
①積極的治療を行う。
②病院に一任する。
③延命治療を行わない。
みたいな大枠では結局、悩むことに。

病状の経過に合わせ、適宜話し合いの場が必要で、ACP=アドバンス・ケア・プランニングを広めていくために、その書式設定したり、延命同意書に取り込むとか、自分達も変わっていかないといけないと感じます。

もう書き過ぎですね(笑)
葛藤が止まらないし、まとまらないので、この辺で(;^_^A