やぁやぁわしさん、たまには昔の外国馬に目を向けて見ませんか?
ってことで今回の今日サラはこれ。
マンノウォー(Man o'War 1917~1947)
全米史上最強との呼び声高い伝説的名馬。
当初は「マイマンノウォー(私の軍艦)」と名付けられたが、手違いで「マンノウォー(軍艦)」になってしまった。また、ビッグレッドという愛称も持っていた。
マンノウォーが生まれた1917年は、第1次世界大戦の真っ只中で、アメリカ競馬の大家で生産者のオーガスト・ベルモント氏が戦争に参加した為、所有権はサムエル・D・リドル氏へと移った。
この時、5000ドル(今にして50万ちょい)という格安の値段で落札された。
競走馬としてデビューすると、初戦を6馬身差で圧勝、破竹の勢いで6連勝を飾る。このまま7連勝を狙いたい所であったが、サンフォードSで番狂わせの意味を持つアップセットの前に2着。これが生涯唯一の敗戦となった(アップセットがハンデを貰っていた事もあるのだが、アップセットが弱い馬という訳では無い)。
その後のグランドユニオンホテルSでアップセットにリベンジを果たし、またもや怒涛の連勝街道を突き進む。
もうこの頃には新聞紙一面に愛称であるビッグレッドの名が載るほど有名になっていた。
その圧倒的な強さにもはやマンノウォーに敵う馬はおらず、ローレンスレアリゼーションSはフードウィンク1頭だけ、つまり2頭立てのレースとなり、ここで伝説となる「100馬身差」の勝利を挙げている(厳密には100馬身差かどうかは分からないが、あまりにもフードウィンクとの差が凄すぎたための表現だと言われている)。
しかしポトマックHで脚を痛めてしまったため、マンノウォーに屈腱炎の兆しが見え始めた。これを見たルイ・フューステル調教師は、マンノウォーをあと1レースだけ使う事を決めた。その最後のレースの内容は、古馬最強と言われていた、今で言う「3冠馬」のサーバートンに勝つ事であった。
そしてサーバートンとの対決となったケニルワースGC。観客は皆、マンノウォーとサーバートンの壮絶な叩き合いになるだろうと期待していたが、その期待は裏切られる。
「マンノウォーが7馬身差でコースレコードを叩き出しサーバートンに圧勝」したのである。
こうしてマンノウォーは輝かしく、競走馬を引退したのであった。
種牡馬になったマンノウォーは、リドル氏の意向により種付け数が制限されたものの、三冠馬ウォーアドミラル、種牡馬として大成功したウォーレリックを世に送り出した。
1943年に種牡馬を引退、1947年に死去。
マンノウォーが競馬界に与えた衝撃は計り知れず、今日まで「マンノウォー系」として血筋が続いている。
戦績21戦20勝。
父:フェアプレイ(Fair Play) 母:マフバー(Mahubah) 母の父:ロックサンド(Rock Sand)
主な産駒:
ウォーアドミラル(米三冠)
クライドヴァンデュセン(ケンタッキーダービー)
ウォーレリック
次回はミスターシービーかトウショウボーイかナリタブライアンの予定です。
