今日サラ、4回目の更新です。今回は狂馬、カブラヤオー。諸事情により長文です。



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カブラヤオー(1972~2003)

1974年、11月10日にデビュー。1回目の新馬戦では惜しくも2着となったが、2回目から連勝街道を突き進んだ。

当初生まれたばかりの頃は全然見栄えのしない体格で、早くも駄馬のレッテルを貼り付けられた。その評価はかなり酷く、300万という安値に加えどこの厩舎もカブラヤオーを預かろうとしなかった程である。

しかしようやく入厩が決まるも、いざ調教となると動きは鈍重で、他の馬が目の前に居たり近くにいると異様に怖がって逃げようとし、この時点でカブラヤオーには誰も期待していなかった。

が、しかし。

デビュー戦ではその期待されていなかった馬が着差アタマで2着という好走をし、評価は徐々に上がっていく事となった。

続くカブラヤオーにとって3回目のレースとなったひいらぎ賞では、8番人気であるにもかかわらず6馬身差という差で圧勝。この走りに誰もが驚いた。

そして5回目のレースとなった東京4歳ステークスでは当時の伝説級牝馬、「テスコガビー」との対決がついに実現。色々な思惑が交錯しつつも、テスコガビーにクビ差で勝利し、一躍その名は轟いた。

その後もカブラヤオーは自身の力を遺憾なく発揮した。後に狂気の逃げ馬とまで言われるハイペースで日本ダービーを勝利した(最後の直線はさすがに堪えたが、あの状況で二の足を使うという異質の走りを見せた)。

そんな彼にも唯一の失敗があった。患った屈腱炎も癒え、復帰後の2戦目でゲートに頭をぶつけて脳震盪を起こし、この時ばかりはさすがに11着になってしまった。だがここまでで9連勝という大功を上げており、この記録は未だにレコードとして存続している。

ちなみに、レース中にカブラヤオーと競り合ったレイクスプリンターはカブラヤオーのハイペースについていけず、レース後に重度の故障を起こし安楽死処分という事態になってしまっている。この事からカブラヤオーがどれだけ異常な馬であるかが見て取れる。

ではカブラヤオーは何故こんな走りが出来たのかというと、その正体はカブラヤオーが持っていた馬に対する恐怖心であった。元々カブラヤオーの血統はパワフルさがあるのだが、その長所が存分に引き出されたのは他の馬に近寄られたくないがための臆病な性格にあったと言える。

戦績13戦11勝。



父:ファラモンド  母:カブラヤ  母の父:ダラノーア



主な産駒:

ミヤマポピー(エリザベス女王杯)

マイネルキャッスル

シオフネ


次回は「馬についてあれこれ」の予定です。