ここ数年、夏場になるとた〜っぷりと時間がとれることもあって、自分とひたすら向き合ってきた。

向き合うって何?という、例の「考えたがり」な自分も顔を出して。

 

家計のやりくりしっかりやらなくちゃ、

に始まり

自治会役員のお役目果たさなきゃ、

とか

ダンナともっと意思疎通はかりたい、

など多岐にわたる。

 

その流れで引き寄せのことを知り、心屋のことを知り、子宮系やらはては宇宙寄りまでいろいろ出会った。

 

どうやら、自分のことをほったらかしにしてきた、ということらしい。

 

自分以外の人の欲望を満たすことには全力を注いできたけど、自分自身の欲望は、それこそ「不感症」だったわけ。

岡田さんの書籍タイトルにもなっている

「で、ほんとうはどうしたいの?」

の一言でずきゅーんと来るくらいに。

 

ワタクシ、ほんとうはどうしたいのだろうか???

 

おそるおそる自分の欲求を満たしつつ過ごす日々。

ダンナはむしろ優しい。

以前から「かわいい格好しなさい」とか「どうしたいの?何したいの?」とか声かけしてくれてたけど、ようやくワタクシの受け取り体制が整ってきたみたい。

 

ダンナの女子力は以前から高い。

服装とかメイクについて口を出されるたびに、ワタクシの趣味ではないしポリシーに反するとかなんとか言って、退けてきた。

外見のことばかり指摘されて、心底嫌だったから。

あれはひょっとすると、

「こういうふうにしたらもっとかわいくなるよ」

「こういう感じの女の子がすきだよ」

とかいう、ダンナからの意思表示だったのかもネ。

 

食べたいタイミングで食べたいものだけ食べてきただけのことはあるダンナ。

うまれおちたときからご自愛の連続だったのかも。

歴代の先祖女子が配偶者や息子たちの欲望を叶えることに尽くしてきたからこそ、ご自愛のかたまりみたいな男子が存在している。

だから、身近な人、たとえばダンナが「神」だったりするわけだナ。

 

よし、いろいろつながってきたぞ〜〜。