振り返り記事をまた振り返る。ニヤリ

義母のこと書いてあったかな。


2019年2月19日
義母が肺がんでこの世を去りました。


この記事の後、11月に余命宣告を受けました。

余命3ヶ月程度

時々つまづくことはあったけど、よく話すし歩こうとがんばっていた。

けど、その『つまづく』原因は、脳の壊死によるパーキンソン症候群の現れでした。

どんどん歩けなくなると言われ信じられなかったけど、日に日に足の力が入らなくなりみるみる痩せていった。

車椅子になり、介護ベッドになり、少しずつ出来ないことが増えていった。

孫にメロメロな義母。
会わせるといつも可愛い可愛いと言ってくれて嬉しかった。

1月7日に義母の母が他界した。
義母の母は、ずっと脚は悪かったけど12月に骨折をしてからみるみる悪くなり、12月末に意識がなくなったけれど、集中治療を受け年を越すことができた。

自分の母より先に逝くことがなくてよかった。と義母は言っていた。
その葬儀の際、義母の脚を揉んであげたりホッカイロで温めていたらすごく喜んでくれてた。

義母、2月6日に脱水症状がでて入院。

旦那が夜中に泊まって、少しずつモルヒネ の量を増やしたりしていき、少しずつ話せなくなり、食べられなくなり、寝てることが多くなった。

旦那とのLINEを見返すと鮮明に思い出す。

最後の日の朝、旦那から下顎呼吸になってると連絡がきた。
病院に朝一向かうと、前日より呼吸の仕方が全然違った。
動画に残してたからよく分かった。
それから1時間もしないうちにお義母さんは最期の呼吸のとき、息をすーっと吸い込んで亡くなった。
息を引き取るってこういうことかと思った。
自分の母を小学生のとき亡くしたけど、その時看取れなかったから義母を看取ることができたのかな。

すぐには涙が不思議と出ず心にぽっかり穴が開いたような、でもドクドクいうような、なんとも言えない感情が体の中にあるような…感情が追いつかなかった。
入院したときから覚悟はしてたのに。




あれからもう半年。
まだ写真を見返したりできない。
おしゃべりなお母さんがいないことがまだたまに理解できないような感覚になる。

会いたいと心から思う。


痛みや怖さの全てから解放されて、天国で自分のお母さんと会えてたらいいな。

早く亡くなった孫とも会えたかなって思ってしまう。


お母さんと毎年過ごしてたイベントが、これからはもう一緒に過ごせない。
保育園と初めての小学校の運動会も本当は見て欲しかったな。

年末のお母さんの料理も食べられない。

もっとなにか出来たんじゃないか、もっと違う治療があったんじゃないかって後悔することがあるけど、あのとき出来る精一杯を選んで選択したのは自分たち。

ほんと難しい。