ご無沙汰しています
今年の出来事は今年中に書き留めておかないといけませんね
呉に出掛けてた時の書き残しがあったので記事にしておきたいと思います
この夜景は灰ヶ峰山頂から
ちょっと曇り空だったのでスッキリとはしていませんが。。
呉市内から車で45分
すれ違う車もほとんど無く狭い山道を延々と登って
やっとたどり着いた先から観る夜景は素晴らしいです
「この世界の片隅に」で描かれた景色
まさに「軍港」呉の全貌が見渡せます
昼間の眺望も素晴らしいでしょうね
さて本題に入りましょうか
たまたまガイドブックをみていたら
呉市からほど近い竹原市というところに
「毒ガス資料館」という場所があることに気がつきました
旧陸軍が毒ガスを製造していた
大久野島という島
そこで「大久野島」と検索すると「うさぎ」の写真ばかりがでてきました
なんと「うさぎ」が住んでる島だったのです!
「毒ガス」と「うさぎ」に惹かれ行ってみることにしました
呉から車で40分あまりの忠海という港から船で15分
ここが大久野島へ向かうターミナルかな
この正面が船の乗り場となっています
乗船時間ギリギリだったので船の写真はありません
とりあえずうさぎさんの餌だけ買って乗船!
僅か15分の船旅となります
うさぎさんのシルエットが可愛いですね
今回乗せてもらって船は小さな船ですが他にフェリーもあるんですよ
島に足を踏み入れると
もうそこはうさぎさんの楽園←じゃないかも知れないけど
歩いていると近寄ってくるんです
大久野島神社 朽ち果てた拝殿が痛ましい
狛犬も心なしか寂しそうにみえました
毒ガス障害死没者慰霊碑とたくさんの千羽鶴
この島で毒ガスが製造され、不幸にもその障害のためにたくさんの犠牲者がでたことを
世界に知らしめ風化させないために建てられたものですね
小高い丘を上り詰めるとそのにあったのは「夕日の丘」
夕日が沈む景色がみたいですね
すりすり足元に寄ってきますよ~
可愛いいなぁ
見ているだけで癒されますよね
丘を降りてくると
そこには穴ぼこがいっぱい
うさぎさんもいっぱい
研究室と検査工室に使われていた建物
毒ガスが製造されていた時の遺構が今も残っています
ここが毒ガス資料館
毒ガス工場の歩み
東京第二陸軍造兵廠忠海製造所は日本陸軍の毒ガス工場として、昭和四年に大久野島に設置され
、昭和二十年終戦後米軍により破壊されました。この工場は、各種の毒ガスや信号筒風船爆弾が製造されましたがイペリットの生産に重点がおかれていました。 ~毒工場資料館パンフレットより引用
工員はゴム性防毒マスク、衣類、手袋、長靴などで完全に覆われていても、イペリットガスは隙間から浸透し皮膚炎や呼吸器疾患に犯されてほとんど治療法はなかったようです。
時間があればもっとゆっくり島内をまわりたかった
フェリーに乗り込みうさぎさんたちともお別れ
こんなにたくさんのうさぎさんの住む素敵な島ではありますが
かつては地図から消された島でもあったという悲しい過去があったことを
ず~っと、忘れないで欲しいと願わずにはいられません
chichi