近藤勇の誕生地であり、映画のまち、調布 | お出かけ-ダックのブログ

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(お出かけドールは、明日掲載します。)

雨でも楽しめる場所・・として「調布郷土資料館」に出掛けました。

調布が映画のまちって、ご存知でした?

 

昭和9年(1934)、日活の多摩川撮影所の開設から

映画のまちとしてスタートしました。

大正7年(1918)に京都で設立された高津小道具店が、

日活多摩川撮影所の開設から間もない

昭和9年(1934)に、国領に移転しています。

戦後は、多摩川の大映撮影所、染地の日活撮影所を中心に、

日本色彩映画株式会社(後の東映化学工業株式会社)、

東京現像所株式会社などの現像や美術製作、

制作プロダクション等の関連企業が設立され、

文字通りの映画のまちとして、経済発展を支えています。

-パネルを要約-

良かったら お付き合いください。

^^*

調布郷土資料館 展示物

新選組始末記 映画ポスター

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映画撮影用カメラ

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ポスターと撮影用カメラ

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新選組局長 近藤勇の誕生の地、調布

近藤勇

勇は、天然理心流近藤周助に剣術を学び、その養子となりました。

文久3年(1863)、上洛する将軍家茂の警固のために幕府の募った

浪士組に、同門の土方歳三(ひじかたとしぞう)らと加わり、上洛後は

新選組を結成し、京の治安維持に努め、池田屋事件などで名をあげ

ました。鳥羽・伏見の戦いの後、江戸に戻り「甲陽鎮撫隊」を組織しま

すが、甲州勝沼の戦いで敗れ、下総流山で官軍に投降します。慶応4年

(1868)、34歳 江戸板橋に於いて斬首され、波乱の生涯を閉じました。

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近藤勇と新選組関係図書

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近藤勇生家(宮川家)復元模型 (縮尺30分の1)

新選組局長 近藤勇(こんどう いさみ)は、天保5年(1834)、武州多摩郡

上石原村宮川久次郎三男として生まれました。

幼名は勝五郎といい、嘉永2年(1849)に天然理心流 近藤周助の養子

となり、江戸の試衛館に15歳の時、移りました。

生家宮川家は、昭和18年(1943)に調布飛行場の飛行機の離着陸に

危険との軍の命令により取り壊されました。

現在は勇の産湯として使った井戸が残っています。

昭和52年(1977)に「近藤勇生家」として、調布市史跡に指定されました。

 

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その他 展示物

100年前のオルガン

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多摩川の観光と鮎漁の道具

大正2年(1913)に京王線が開通すると、多摩川に鮎漁や桜を見る

観光客が、東京方面から来て賑わいました。

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この他にも、武蔵野台地に人が住み始めた旧石器時代、

土器文化の登場、出土した矢じりや土器などが展示され、

小さい資料館ですが、興味深く見学しました。

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角川大映スタジオ 入口

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◇窓と窓のある風景◇

 

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今日もお出で頂き、ありがとうございました。
明日も、良い日でありますように。
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