大磯建物語 旧木下家別邸と新島襄終焉の地 | お出かけ-ダックのブログ

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ようこそ!

大磯駅前洋館

1~2枚目の写真は、1か月前、吉田邸に来た時に寄りましたが、

半端な時間で、レストランの営業時間まで待てなかったので、

写真を撮っただけで帰りましたが、

今回、澤田美喜記念館とロングビーチと海岸を

訪ねた後に寄ってみると、営業していたので、

予約なしでしたが、ピザとパスタをおいしく戴いて帰りました。

この日は他のお客さんの車が、数台駐車していたので

建物の写真が撮れなかったので、前回の写真を使いました。

 

良かったら お付き合いください。

^^*

大磯駅前洋館 (国登録有形文化財<建造物>)

建物の特徴は、屋根が切妻造スレート葺で、左右の屋根上に

大きなドーマー窓を開けたシンメトリックな形状と、

外壁は南京下見板張、各部屋にはデザイン性や採光性に優れた

ベイウインドウ(出窓)を設置し、

正面中央の玄関ポーチの上に2階バルコニーを乗せたデザインです。

-冊子より-

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新島襄 終焉の地

明治の教育者新島襄は、1843年(天保14)江戸神田の安中藩邸内で、

藩士新島民治の長男として生まれました。当時、近代日本の黎明期に

当たり、欧米先進国の新知識を求めて 1864年(元治元年)函館から

米国に渡りました。苦学10年キリスト教主義教育による人民教化の大

事業に献身する決意を抱き、1874年(明治7)帰国。多くの困難を克服

して、翌年京都に同志社英学校を設立しました。その後同志社大学

成立を企図しましましたが、病気にかかり、1890年(明治23)1月23日

療養先のここ、大磯の百足屋旅館で47歳の生涯を閉じました。

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◇窓と窓のある風景◇

 

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今日もお出で頂き、ありがとうございました。
明日も、良い日でありますように。
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