不登校は問題行動? 本当の「不登校"支援"」とは。 | ブログ

ブログ

こんにちは


「不登校」と聞くと
当事者も含めてどんなイメージですか?☺


様々なイメージがあると思いますが‥


これまでの「不登校」への対応を考えると
問題行動
見なされてる部分があると思います!



「別室登校」や 「保健室登校」をとっても
教室復帰のみをゴールにしたステップ
でしかないですし


学校に行く事が大前提なら
問題行動とされるのも 分かります‥。

(義務教育の間は特に)学校の人は
「学校に来なくてもいい」など
言えない理由も 分かります。

だからか、

不登校は「問題」であり
一日でも早く
学校へ戻すことを求められる。


そんな周囲から求められることを

不登校本人は痛いほど感じ取っています‥。



一日でも早く学校に戻すように 
という学校など、

周囲からの「指示」と

学校には行きたくないという
「自分の思い」の板挟みで

長い間、苦しかった。


だから、学校に行かなきゃ‥という
気持ちがいまだ消えなくて
高校も全日制のコースを選びました。
‥‥合いませんでした。(笑)あせる


その子、その子によって異なりますが

不登校は 
「休養」「自分を見つめなおす」等、

積極的な意味を もっている事は確か。


だから、不登校本人に非なんてありません!


そう言いきれますが、

このことを私のように

不登校本人‥
ましてや、子どもが言えば

聞こえかたも
 「正当化」
「自己説得 」になるのかな‥?アセアセ(笑)



でも、

学校へ行きたがらない本人を
「学校復帰」のみを
「支援」とすることに限界を感じないのかな?

と思うんです。


そして支援者のかたも

そんな選択肢しか"ない" 

思ってしまっている?と。



私は 不登校を選んだことは
傘をさした、
ということだと思っています。

雨のなかは、傘が必要です。☔


雨にうちひしがれて 

強くなろうとする人、
そうしろと言われ続けた人にしたら、

傘をさすことは
(不登校を選ぶこと、自分を守ること)

甘え以外なにものでもないのかもしれません。


でも傘をささなくても平気な人‥、

学校に行かない
という選択肢さえ考え付かないほど

学校に行く事が 平気な人もいます。


それはきっと、私の考え方ですが
見えない「雨ガッパ」を着てるから。

それが私がおもう、
脳の特性やHSPに関する
先天的なことの違い、だとおもうのです。

ただ、見えない雨ガッパがないひとは、
傘をさそう!ということ。☔


「学校復帰を目的としていないから」
という勝手な理由で 

色んな選択肢が
奪われてきた、奪っていた事を
今、とても感じます。

なので、
選択肢があることを発信したい!

もちろん、
「学校が楽しくない‥」
「勉強がつまらない‥」
「友達とうまくいかない‥」
から

「休みたい」
「行きたくない 」という

悩み、気持ちは

不登校の子じゃなくとも、
かかえる子は 多いので

学校側や支援者のかたも、
判断が難しいことは 百も承知‥!


そのような悩み、気持ちをいだく子と
「不登校の子」の差が分かりづらい‥

なので不登校本人も
後ろめたい気持ちをいだいてしまいます。。


誰も自分を守るために、

「学校へ行かなくてもいい」

率先して 

「傘をさしなさい‥」☔
「守ってもらいなさい」
「守ることをしなさい」

などとは 日本の教育では
中々、言われない。



選択肢がある、という事は

雨で寒くて不快な思いをしているなら‥

まあ‥我慢する事も、できます。🌂


傘をさすことも、

もっと自分に
適した環境を探ることもできる。


場合によっては
難しいかもしれないけれど


 「可能」です!

ここでいけないのは、
雨と寒さに弱い自分を 責める事。

もちろん、周りもです。

「不登校」だけに関わらず、ですが

私の考えは、
「"開きなおり"のススメ

しているのではなくキョロキョロ(笑)


自分を 知る事で
深く理解し、
寛容な心と選択肢を広げていきたい!

ただ、それだけハート


このブログで不登校の「イメージ」が
より良く変わるチャンスになる‥
そんな嬉しいことはないなぁ
と、想いながら書きました流れ星