誰からの連絡だったかは、もう、覚えてない。
ムラナカ リョウタです🕺
連絡があったのは朝だった
飛び起きて、直ぐにメンバーと合流した。
何がどうなってる。状況が分からない。
どうしたらいい。
「えっちゃんが交通事故で意識不明の重体」
真っ白になった。
震えが止まらなかった。
とりあえずみんなで病院に駆け付けたけど
集中治療室に居るえっちゃんとは面会謝絶。
なんとなく、そんな気はしていた。
"バンドなんてお遊びだ。
いい大人がいつまでも遊んでないで。
いつまでそんな趣味を続けるんだ。"
周りには随分、言われ続けたし
程々、聞き慣れたもんだよ。
でも。
えっちゃんの両親は一切そんな事言わなかった。
けど。
そう思われてると思ってた。
その時、初めてバンドをやっている自分を
蔑んで、悔やんだ。
俺らは俺らが何が出来るかを考えても
仕方なかった。動けなかった。
医療の力とえっちゃんの力に望みを持つしか。
きっと、声は聞こえるし思いは届く。
そう思って俺らは千羽鶴を折り始めた。
何羽も何百羽も何千羽も。
俺らだけでなく、話を聞いたバンドマンや
ライブに来てくれる人たち、メンバーの周りや
海外からも沢山の千羽鶴が届いた。
毎日毎晩、折り続け、千羽束ねては届け
集まって作ってた病院近くのマックでは
店員が覚えてくれて、声を掛けてくれて
コーヒーをサービスしてくれたり、
本当に沢山の人たちの思いを、届け続けた。
こうへーの口から俺らがどんなバンドで
どんな思いで、どんな人間で
みんなえっちゃんが好きで
みんながみんなORANGE SHAKESが
大好きで大好きで。そんな思いを
両親に伝え続けてた。
病院へ行くのが日課になっていた俺たちは
いつもの様に束ねた千羽鶴を届けに
集中治療室前まで行き、インターホンを押した。
中から両親が出てきて、俺らにこう言った。
「えっちゃんに会ってあげて。
手を握ってお喋りしてあげて。」
ダメだ。書きながら泣きそうだ。
事故後、初めてえっちゃんに会えた。
ベッドの周りには今まで届けた沢山の千羽鶴。
その千羽鶴に囲まれるようにして
沢山の医療機器に繋がれた痛々しい姿の
えっちゃんが横になっていた。
みんな一斉に話し掛けた。
泣きながら、手を握って、どーでもいい話から
笑い話、メンバーのバカ話、沢山話し掛けた。
もちろん返事はない。
けど、握ったえっちゃんの手は
温かく、頑張って生きていた。
その後も何日も通い続け、思いを届けた。
2009年1月31日
"えっちゃん"こと池田悦子は
23歳の若さで天国へ旅立った。
初春を迎えて、間もない夜
家へ帰る途中だったえっちゃんは
もうすぐ家に着く所で、対向車と衝突した。
28日後、えっちゃんが亡くなったと
こうへーから連絡があった。
たまたま殿と一緒に居た俺は
車の中で大声で泣いた。信じられなかった。
俺と同い歳なのになんで死んじゃうんだ。
まだ23歳じゃんか。早すぎるって。
その時、泣きじゃくる俺を気遣って
殿が俺の車を運転して、俺の家に向かってた。
その道中、車内で流れていたのが
hide with Spread Beaverの
"HURRY GO ROUND"だった。
"また、春に会いましょう"
歌詞の一文だ。
ぐちゃぐちゃな感情の中、この曲流れてきて
余計にぐっちゃぐちゃになった。
また、会える気がした。
その日の夜、通夜に参列した。
治療のために頭髪を剃らざるを得なかった為
短くなった髪にMaKKONがウィッグを着けた。
えっちゃんは事故の悲惨さが分からないくらい
可愛い顔で棺の中に眠ってた。
通夜が終わり、俺らの元に両親が来た。
「えっちゃんが淋しくないように、ロウソクの火を消さないように一緒に居てやってくれないかな?」
本来なら通夜後、親族だけになるはずの斎場に
俺らORANGE SHAKESを招き入れてくれた。
一晩えっちゃんと一緒に過ごし、親族の方々に
バンドの話をし、えっちゃんを囲んで酒を飲み
あっという間に、朝を迎えた。
火葬から葬儀まで、まるで親族のように
参列させてくれた。
いい天気だったなあ。
あの日以来、えっちゃんに会いに行く時は
墓に向かって
"また、春に会いましょう"
そう、声を掛けてる。
毎年、メンバーと会いに行ってた
あの場所は、妻と行くようになり
子どもと行くようになり
時が経つにつれ、とても大切な場所になった。
それから、ORANGE SHAKESは
しばらく、活動を止めた。
続きはまた今度🤚
なら、すんまっせん
ご無礼します🦥