今年で結婚10周年。
もう10年も経つのか〜という気持ちと、
改めて、まさか結婚することになると思ってなかった不思議さは今もやっぱりある。
6歳で出会っていて、
それから本当に結婚するまでの22年間、
お互いにそれぞれの恋愛があったし、
後半に関しては、すごく深く相談しあったと思う。
人生とはわからんもんだな。
だけど、みんなそうだと思うけど10年ていろいろあるよね。
あるわーありすぎるわ 笑
今、娘たちが2人増えて、
家族が4人になって、
それでまたここからインドネシアでの生活が復活しそうで、
夫とは本当にいいパートナーになれていると思う。
そう思い合えることが何よりの幸せだと思う。
コロナで私は1年以上日本での生活をして、
その間夫はコロナに感染し、
その時は遠隔ながらに適切に対応したつもりではあったけど、
2ヶ月後、私の頭には十円ハゲができた。
最近は、ストレスじゃなくて自己免疫疾患だと言われてるらしいけど、髪の毛の周期からいってもドンピシャすぎて笑った。
このハゲが見つかった月だけ、ここ最近は乱れることのなかった生理も2週間くらい遅れて、
あの時のダメージの大きさすごいなと思った。
夫は、自宅療養では良くならず、
血中酸素濃度が下がり始め、
入院した。
その悪くなっていく様子が、
ビデオ通話ではわかりづらく、
でも明らかに快方に向かわない様子と、
寝てる間に死んだらどうしようというのが、
とにかく怖くて、
私はあまり眠れなかった。
入院してからは、ドクターやナースが本当に良くしてくれて、3日目くらいには酸素チューブも外れていたと思う。
画面の向こうで笑顔を見せるようになったのもその頃で、
その2日後くらいに、
良くなってきてるよ!って直接声で聞いた瞬間に、
涙が滝のように溢れてきて、
自分でも泣いたことに驚いたし、
それまでめちゃくちゃ冷静的確な対応に見えてたと思う私が画面の向こうで子供並みに大泣きしていて、
夫はボー然としてた 笑
いつか、感染するかもしれないって、
いつも思ってはいた。
だって、ゴルフ行ってるし、仕事で人に会うこともある。
でもそれを、心配してたけど、
私はゴルフに行くなとも、
他人に会うなとも、
一切言わなかった。
だって、結果論でしかないと思うから。
コロナに感染したといえば、
ほら!ゴルフなんかやってるからだよ。ってなる。
でも、じゃあ、コロナにはならなかったけど、
鬱病になったら?
正解は誰にも分からないコロナ禍だと、私はいつも考えてる。
だから、家から出ないという人はそうすればいいと思うし、それはさすがにもう限界と思うなら、出ればいい。
自分ができる、最大の予防をして、他人への配慮も精一杯考えて。
それでも、この今のこの時代を生きていかなきゃならないわけだから、自分の行動は自分で決めるべきだと思う。
だから、夫も自分の行動は私に制限されるべきではないし、夫の人生だから。と、覚悟してたつもりだった。
もし、感染してしまった場合に備えて、情報収集だけはできる範囲でしているつもりだった。
不安はあったけど、私は私の生活も忙しいし。
だから感染した時も、きたか。と思っただけと感じてた。
でも、きっと本当のところはそうじゃなかったのかなって思う。
無意識に涙が滝のように出るってやばいよね。
私の髪はまだ生えてこないよ〜困ったなー
インドネシア生活、ほんといろいろあったなー
けど、私はなんだかんだ、次女がベビーだったのもあって、楽しむのはこれから!ってところだったんだよなー
次女がスクールへ行き始めて半年でコロナ休校。
だから、ここからのインドネシア生活を楽しんでいけたらいいなと思う。
結婚した時は、大阪に住んでたんだけど、それまで関東から出たことなかったから、大阪ほんと楽しかったなー
日本の中でも地域が変わればこんなにも違うのか!とリアルな体験ができて、すごく良かった。
仲良くしてくれたおじちゃん、おばちゃんといろんな話ができたし、初めて昭和なスナックに連れてってもらったのも大阪だったし。
いろんなはじめての経験ができたと思う。
そこからケニアに行って。
もうこれは毎日がアドベンチャーだった 笑
ケニアでの生活は、ほんと、先進国の素晴らしさを痛感した。
毎日停電するし、夜12時になったら、アパートのジェネレーターも落ちて、ほんと真っ暗。
ネットも使えないし、寝るしかない。
3日に1回くらいは、水も止まるし。
何時間か後に出てきたと思ったら、ドブみたいな色の水だし 笑
仕事では、会計を一円単位まで揃えるっていう概念自体がないので、
メグミはなんでそんなに怒っているの???
って目を丸くされたり 笑
そんでもって、日本側からは、まだですか!?みたいにいつも怒られてて。
長女を出産した時は、やっぱりナースとドクターに救われた。
沐浴の仕方もケニアスタイルは、赤ちゃんを小脇に抱えて頭を下に下げて、水道でじゃぶじゃぶ洗うスタイル 笑
それしか知らない私はそれで洗ってたんだけど、
退院後に、日本から来てくれた母親が日本式の沐浴教えてくれた。
けど、当時は今よりも英語できなくて、
黄疸の説明にきてくれたドクターが、
私が英語があんまりなのをすぐに察知してくれて、
めちゃくちゃゆっくり、簡単な単語を捕捉しながら説明してくれて、最後に、
わからなかったところない?
聞いていいのよ。
と、笑顔で言われた時は、その優しさに泣いた。
夫も、今回のコロナ入院で言っていた。
ドクターもナースも本当に親身になって対応してくれたと。本当にインドネシアに貢献していかなきゃならないって。
めちゃくちゃわかる。その気持ち。
私たちは、たまたま日本に生まれたけど、
それはそういう運命にあっただけ。
自国を離れたら、やっぱりすごくすごく未熟っていうか、その国で生きていくスキルは大きく欠落してる。言語も文化もルールも習慣も。
結局は、体験して、経験してかなきゃわからん。
だからやっぱり、アウェーで出会う心優しい人たちに常に助けられて自分たちがあるということを、学んだ10年間だったんじゃないかなと思う。
そして、それが私にとっては何よりも刺激的で楽しい10年間だったと思う。
これからも、周りの人たちに感謝しながら、自分たちの人生を楽しんでいけたらいいなと思う。