久しぶりに勉強のない日々を過ごして、
気持ちにもすごい余裕があって、
ヒッポにイライラすることが本当になくなった。



それは、最近いろんなことを話してヒッポも私のことをすごく気にしてくれているし、
いろんな理由があるんだけど。



でも今までだったらイラついてたことも、
さらっと流せたりして。


レイラが毎日、ちゃんと声をあげて笑っていることもちゃんと実感できた。


最近、すべり台とかも一人で登りたがって、
私についてくるなって言う時とかあって。


こっちが冷や冷やしてたまらなかったことがあって。
しかも、体力がついて、公園で何回もエンドレスでアスレチックみたいのを一緒について行ってやらなきゃいけなかったりして、
それが億劫で。



でもそれって明らかに寝不足が原因で。


身体がしんどいんだよね。
本来ならどんどんそういう遊びこそやらせたいはずなのに。



だから、その公園を避けて、
私が座って見守っているだけで遊べるような室内のアスレチックみたいのがあるところによく行くようになって。


そこもレイラは気にいってるし、
身体はがっつり動かせるし、
お友達とのふれあいもけっこうあるし、
いいところではあると思う。


でも、外の公園にもちゃんと連れてってあげないとだめだよねー


そういうのも、
「試験が終わるまでは妥協する自分を許そう」
っておもってて。


正直、レイラの昼寝や夜寝るのを待ってる自分がいたり。


勉強しなくなって、
一緒に公園に行ったり、
レイラの小さな変化を一緒に喜んだり笑ったりして、



レイラといる時間もすごく楽しかった。



不満は何もなかった。



でも、それは本当に最初の2,3日で。



やっぱり、それなりに十分こなせてしまうような日々では、
私は物足りなくなってしまうんだよね。



ちょっと自分が頑張らないと、
自分のお尻を叩かないとやれないような日々じゃないと、
何か新しいことをしたくなっちゃう。



刺激がないんだと思う。



私には、刺激のない日々は無理だと思う。
私は、仕事とプライベートをくっきり分けるタイプではなくて、
わりとどこでも一つの自分でいくタイプで。


だから、自分の生活自体に何かゾクゾクするような刺激がないと、
つまんなくなっちゃう。


そういう意味では、
結婚してから大阪へ行き、
ケニアへ行き。



2011年にオーストラリアに行ってからずっとアウェーをうろうろしてた私にとって、
3年ぶりのホームで。



安心感はあるし、
いつでも友達に会えてうれしいけど、



ゾクゾクしないw



だからそれを自分で用意したいっていうか。


たぶん、私の最高のゾクゾクは、海外にあって。
でもそれってヒッポの仕事次第だし。


私が一人でどうにもできない。


でも、もしもそのチャンスが到来したときには、
そのチャンスを最大限に楽しみたい。



そこに直結するもの、かつ、もしかしたらこのまま海外には出れないかもしれないけど日本でも生きるもの。



そう考えた結果がCPAで。


USCPAは日本の公認会計士試験に比べて簡単だって言われていて。



でも実際に勉強してみて、
私には英語のハードルがすごく高いから全然難しいんだよね。


単語とかほんと半分くらいわかんないのあるし。
調べてもすぐ忘れるし。


正直、冬までに合格レベルまでもっていけるのかすげー不安だった。



で、たぶんこの1週間、休んでみて、
ちゃんと自分の中では理由があったからそうしたし、
実際それで気づけたことがいろいろあってよかったと思うんだけど、



一方で、
すんごーーーーーーーーーーーく休みたかった自分がいたことにも気づいて。



理由はあったんだけど、
20%くらいは逃げだったかもしれない。



まじでだせー。



それともう一つ。



私は以前から、ヒッポは私に専業主婦ではなくて、
働く妻でいてほしいんだろうなって思うことがあって。



収入面は自分がしっかり家族を養うっていう意識はすごい高いと思うけど、
ヒッポの中にある女性像として、
社会でちゃんとやっていける女性でいてほしいっていうか。



ヒッポの周りにいる女性とか、
だれかの奥さんの話とかをするときに、
専業主婦に敬意はあるけど、
キャリアウーマンには尊敬っていうか。


なんだろう。


なんか私にはそう見えるときがたくさんあって。



で、私はそれもたぶんどこかでは意識してて。


ネイリストだったころは、職種が違うというか、
職人みたいなもんだからまた違うんだけど、


ネイリストを辞めて、
経理をやり始めてからは、やっぱりそれまで以上にヒッポから助言をもらうことが増えたし、
その助言をもらって、自分の行動を変えることで、
いろんな場面で働きやすさが変わることがたくさんあって。


前に友達に、
ヒッポは会社や社会に認められたいっていうか、
めーに認められたいっていうかんじだよね。
って言われたことがあって。


ヒッポにそれを話したら、意外にも


うん。そうだと思う。


ってあっさり認めたことがあって。



けど、私も同じなんだよね、結局は。
やっぱり、自分の身近な人で、働くということにおいて、
私はヒッポのことをすごく尊敬していて、



女性としての理想像は全然別のところにあるんだけど、
一人の大人として、
常に私に刺激をくれるというか。



だからそのヒッポに、客観的に認められたいっていうのはあると思う。


なんだけど!



私は、CPAの勉強を始める時、
もちろん純粋に自分のためにと決めたことがたくさんあって、
その理由は本当に今も変わらないんだけど。



そのうちの1つに、
ヒッポが私には働く女性であってほしいって思ってるだろうっていう
逃げの理由があったなと。



でもそれって絶対だめで。



ヒッポはこれまで私が何かを決断する時、
いつも


自分で決断しな


って言ってて。


ヒッポがどうだからとか、
どう言ったからとかそういうのは一切なしで、
自分自身で決めな、と。



AUSに行くときも、
結婚する時も、
同棲する時も、
ネイリストを辞める時も、
経理の仕事を始めるときも。



私の人生の分岐点ではいつもアドバイスをくれたけど、
必ず言われたのが


自分で決めな


ってこと。



私はヒッポに出会うまで、
それをこんなに意識して言われたことってなくて。



でもヒッポはいつもそう言うから、
言われるとそこを意識して決めるようになって。



それがいかに大切なことかっていうのを、
出会ってからのこの数年間で彼に教えてもらったと思う。



それを今回の決断では、
無意識のうちに、ヒッポがこうしてほしいだろうっていう理由を、
ほんの一部だけど入れてたんだよね。



休んでる間、そこにも気づいた。



で、それは止めようって思った。



でももう大丈夫。



休んでみて、
やっぱり私はこのチャレンジを続けようと思ったし、
続けたいと思ったし、
それを私自身が望んでると思った。



で、同時に、
やり方を変えようと思った。



レイラの日々の表情や成長を見てて、
毎週末勉強の時間をとるのはやめようと思った。


それで受験時期が遅れても、
それは逃げではなくて、
母親として、そうすべきと思ったとすんなりと思えるから。


月に1回か2回、そういう時間をもらいながら、
レイラの反応を見ながら、
それは臨機応変にやってみよう。


ヒッポはレイラとのデートは楽しんでるし、
レイラにとっても大事な時間でもあると私は思ってて。


やっぱり、私が一緒にいると、どうしても私の判断が主になるけど、
私が完全にいなければ、
ヒッポにしかしてあげられない時間を過ごすことができて。


実際にこの数ヶ月間の二人のデートの話を聞いてると、
私ならやってあげないようなことをしてくれてたり、
行ったことのない遠出をしてみてたり。



しかも、その当日はレイラもすごく楽しそうにパパと何をしたのかを話してくれるし。



そして、何よりも、
今後はヒッポと私の幸せの形を追求していこうっていうことになった。



レイラの幸せを考えるのはもちろんなんだけど、
私たちが幸せだったらレイラも必然的に幸せだと思ったから。



グリーンカードのアプライもそんな話から思いついたことで。



やっぱ私は海外に出たいな。



レイラを、海外で育てたいんだよね。



今はまだ日本でもよくて。
幼稚園や小学校は海外でってできたら理想かな。



実際に子供を持ってみて、
レイラが将来日本で生活していくことを考えたら、
日本人としての基礎の土台を作る時期、
海外って本当のところどうだろうと思った時期もあったんだけど。



今はやっぱり海外がいいな。


私は自分の子供に逞しい人間に育ってほしくて。



何よりも生きる力をつけてほしい。


生きる術をたくさん見て経験してほしい。


外国人というより、
自国を出ようと思って、
それを行動に変えて、
飛び出した人にこれまでたくさん出会ってきて。


特に外国人でそういう行動をとってきた人って、
本当にグローバルっていう言葉が合う。



すごく視野が広いし、
細かい部分では欠点もたくさんあるんだけど、
私にはすごく、
生きる力に満ちて見えるし、
逞しい。


そして、優しい。


たくさん苦労も悔しい思いもしてるから、
他人を認めることができるんじゃないかと思わされる。



日本は大好きだし、
素晴らしい国だし、
素晴らしいところが挙げきれないほどある。



私は、自分が短期間だけど海外に住んで、
やっぱり少しでもそういう時間があると、
感覚が変わるというか。



日本のめんどくさいしがらみのようなものを気にしなくなるっていうか。


だから日本でまた生活するようになって、日本での常識やマナーをすごく意識してたんだけど、



日本人でも、気をつけて見てると常識もマナーも人それぞれだなーと思って。



平均したらすごいのかもしれないけど、日本にいなきゃいけない理由になるほどの必要性はないかもって思った。



今は途上国の子供たちもどんどん国外へ出ることを意識してるし、



ケニアで実際に何人かのケニア人と働いて、やっぱり意識の高いケニア人もいて。




私は正直、オーストラリアよりケニアで、自分の人としての未熟さを痛感して。



海外の学校の授業のやり方もすきで。
意思を大事にするし、
考えて取り組むってゆーかんじ。



受け身じゃ通用しない授業が多いんだなーっていう印象。



まぁ、このへんは私も詳しく知らないけど。



でもとにかく、
やっぱりどこに行っても大丈夫な家族の絆を深めていきたいなと思う。