北朝鮮の元経済官僚インタビュー「北は96年に最期を迎えている」
02年にチェコから脱出した元朝鮮・チェコ靴技術合弁会社の社長キム・テサン(53)氏は26日、本紙とのインタビューで、「96年には平壌(ピョンヤン)市民も飢え死にした」とし、「幹部らが集まって『もはや終わりだ』と嘆いた。実際にそれが最期だった」と話した。
キム氏は内閣の軽工業省・対外事業部責任指導員を務め、00年北朝鮮の女性労働者250人を連れてチェコで事業を展開した。北朝鮮の経済幹部としてはもっとも最近、北朝鮮を脱出した人の1人であるキム氏は、これが初めてのマスコミとのインタビューとなる。
次はインタビューの内容。
-飢饉(ききん)が深刻化した90年代の北朝鮮はどういう状況だったか。
「96年には私の家族も差し当たりの食糧が無くなった。一般の人民は言うまでもない。平壌市の保衛員も食糧がなかった。軍需工場でも実際に多くの人が餓死した。三々五々集まった幹部らは『もはやこれで終わりだ』と囁きあった。実際にすべてが終わった。上部からの学習会や講演の指示もなかった。生活総和(その日の作業成果を評価、反省する時間 )もしなかった。軍需品工場もオールストップした」
-その後どういう変化が起きたか。
「00年からは、軍需工場が再び稼働し始めた。南浦(ナムポ)港には私服姿で、軍車両のナンバーを隠した軍用車両が南朝鮮と米国から贈られたコメを積んで行くために血眼になっていた。軍部隊から流出されたコメが市場に出回ると、コメの価格がはじめて下がった。金正日(キム・ジョンイル)総書記は米国と南朝鮮がコメを献上したと宣伝した。住民もその言葉を信じた」
-現在の北朝鮮の経済はどういう状態なのか
「南側では“北朝鮮が変化云々”としているが、大量の人が餓死したため、市場をやや拡大したまでのことを誇張して解釈しているようだ。国が配給をしないため自分の力で生きていることが変化と言えば変化だ。経済部門の幹部は有名無実となった。現在の北朝鮮経済は外部の支援により支えられているが、それさえも軍需部門を除けば、破綻状態だ」
-02年7月に新経済措置を取ったのではないか。
「当時、私はチェコに滞在していた。いきなり給料を従来の10倍に引き上げるといわれた。生産は限られているのに、金だけを作り出してどうするつもりなのかと考えた。3か月でその金すらなくなるだろうと思ったが、やはりその通りだった。現在、為替相場が1ドル=2500ウォンまで跳ね上がった。軍部、保衛部、一部の経済関係者だけが一儲けし、持てる者はさらに富み、持たざる者はさらに貧しくなった。しかもあらゆる税金を課し、人民の生活はさらに苦しくなった」
-?津(ナジン)先鋒(センボン)経済特別区域はどうなったか。
「安い中国製品を買い入れ、内陸に高く売る仲買人が溢れている。貿易関係者は、ほとんど?津・先鋒を利用していない。そこには保衛部が半数、商人が半数となった。保衛部は商人の金を脅し取る吸血鬼だ」
-開城(ケソン)の状況は?
「北朝鮮は可能な限り南側とは取引を避けようとしている。南側の文化を住民がものすごく早く吸収するためだ。開城工業団地は金総書記が新義州(シンイジュ)特別区域の失敗のせいで選択を余儀なくされた事業だ。開城住民の70%が交替された。 咸鏡(ハムギョン)南道出身の予備役軍人を集めて開城工団の労働者として教育した」
-現在、北朝鮮のエリート社会はどういう考えを持っているか。
「黄長燁(ファン・ジャンヨプ)秘書の亡命で、北朝鮮社会は揺れ動いた。しかし、黄氏が軟禁されたという噂が出始めた。米国に亡命した張承吉(チャン・スンギル)元エジプト大使も米国が情報を全部得てから南朝鮮に送られ、清掃作業員をしていると宣伝した。それが効果があった。北朝鮮人民たちは一日でも早く戦争をした方がいいと躍起になっている。これ以上状況が悪くはならないという考えからだ。保衛部はこうしたムードを深刻に受け止めている。現実から脱しようとする人民に欲求があまりにも強いためだ」
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