最後のbayじゃないか 彼方から届いたアンジョーヤリーナ

まず重岡さんが歌い出す。今から聞くとどこかあどけなさすらある2019年の重岡さんの声だ。そこに2019年の神山さんの声が重なる。
かみしげによって冒頭に歌われる、そしてサビとして繰り返し歌われるフレーズに、この曲のメッセージは集約されている。ここを聴いてすでに、これまで覚えのないふうに心が揺さぶられているのを感じた。
耳の中で、藤井さんがAメロを歌い出す。聴きながら最初に思い出したのは、2022年の大阪メトロックでこの曲が歌われた時の記憶だ。朝の荒天が嘘のようにジリジリと照りつける太陽のもと、ボロボロ泣きながら拳を振り上げた。全身汗だくで声を枯らしながら、この人達を好きになってよかった、と、心底思った。
ヘッドホンを通して次々に言葉とメロディとビートが飛び込んでくる。嘘じゃない本当の気持ち。俺は彼らの活動に、とりわけ彼らの音楽に、嘘を感じたことは一度もなかった。
サビで7人の声がひとつになる。再び歌われるあのフレーズ。
まるで過去から今に向けて書かれたのかと思うほど、歌詞のひとつがひとつが否応なしに今の現状と重なって心に刺さる。涙腺はもうとっくに限界を迎えていた。
2番に入って、中間さんが歌い出す。次に思い出したのは、2022年の飛べ関だった。巨大なドームがライブハウスに思えるほどの熱気、そのなかで歌われたこの曲も忘れられない。
間奏に差し掛かるところできりはまのハモりのロングトーンが聞こえてくる。記憶が次々に蘇る。2024年のAWARDドーム。CDTVでのパフォーマンス。2025年のWESSIONフェス。音源でもたくさん聴いた。もういつのことか忘れてしまったいつかの夏の暑い日、今はもう無くなってしまった駒沢大学駅近くのブックオフに行く途中にこの曲を聴いて、なぜだか路上で泣けて泣けてどうしようもなくなってしまったことも、急に思い出した。記憶が溢れる。
俺はもうとっくに泣き出していたが、その涙は、かつてあった美しい思い出を懐かしんで流れたものじゃなかった。彼らとの新たな思い出がもう作られないことを惜しんで流れたのでもなかった。
この日最後のbayじゃないかで流れたこの曲は、俺に向けられて歌われているものでもあると同時に、かつての彼らから今の彼ら自身に向けて歌われているようにも聞こえた。
ヘッドホンから聞こえてくるのは2019年の彼らの声だ。でも俺にはそれだけじゃなくて、2022年のメトロックの彼らも、2024年のAWARDの彼らも、いつかの夏の日の路上で聞いた彼らも、それぞれの場所から今に向けて歌っているように聞こえた。
もう過去になってしまったはずの、記憶になってしまったはずの、遠い彼方のいくつもの瞬間に確かに生きていた彼らが、それぞれの場所から今に向けて、おーい! 聞こえてるかー! おーい! 届いてるかー! 歌ってるぞ! 俺らはあなたに! いま! 歌ってるぞ! そう叫んでいるように聞こえた。俺にはほんとうにそう聞こえたのだ。
落ちサビを歌う小瀧さんの声が聞こえてきて、そこに藤井さんの声が重なる。そしてまた7人で、最後にもう一度あのサビのフレーズが歌われる。
それを聴きながら、ひとりの部屋で、声を上げて泣いた。
あのとき流れたたくさんの涙は、彼方のWEST.たちからバカデカ声で届けられた”愛せ君の人生”というメッセージを受け取った、その喜びで流れた涙だったのだと思う。
あの涙を、俺は忘れないでいようと思う。
bayじゃないか | BAYFM78 | 2026/09/26/土 23:30-24:00