俺は新しい地図を誤解していた――映画『クソ野郎と美しき世界』鑑賞3日後のおぼえがき
本作は新しい地図によるこの世界へのステイトメントである。
ステイトメントという言葉がちょっと固いならメッセージと言ってもいい。
本作の全てが、新しい地図からのメッセージだと思う。
いきなりぶちあげてみましたが、じゃあそのメッセージってなんなのか。
なんだろう。なんでしょうか。なんだと思います?(聞くな)
いや、正直、すごく聞いてみたい。いろんな人に。
みんなこの作品を観てなにを受け取ったのか。
実は本作を観ていちばんびっくりしたのが、
「“よくわからない”というフィーリングが存在する作品である」
ということだった。
や、これ、別に普通のことなんですけど。
普通というか、俺にとって
「よくわかんないけどすこぶるおもしろい」
という感想って、個人的にエンタテインメントに対する最上級の賛辞なんですね。
すでに知ってる感情や感覚を追体験することの楽しさもありますよ。
でもやっぱり未知の快感に出会いたいわけですよ。エンタメジャンキーとしては。
で、まさか(失礼)、新しい地図の映画で、そういう感覚になるとは(本当に失礼ながら)思っていなかったのだ。(そう思っていたことに観たあとで気付かされた)簡単に言うと、もっとお行儀がいいものができあがるのかと思ってた。
正直に言います。ナメてた。ごめんなさい。(土下寝)
例えば。最初に「本作の全てが、新しい地図からのメッセージ」と書いたけど、それはエピソード4における、香取慎吾による素晴らしい歌唱でうたわれる『新しい詩』の<世界のどこかにきっと仲間がいるから>というサビの一節なのかもしれない。
この一節は3人のことを言ってる気もするし、今回集結した4人の監督のことにも思えるし、異なるエピソードの中を生きながら最終的に一瞬だけ邂逅する映画の中の3人のことかもしれない。
新しい地図のファンクラブ会員がNAKAMAって呼ばれてることもかけてるのかなーとか、解釈を広げると他のSMAPのメンバーのことを言ってるのかしらとか、いろいろ深読みもできますわね。
でもじゃあ本作が単純に仲間っていいよね!的な映画なのかというと、全然そうじゃない。お行儀のよいオチを設けない、というか、いや別にそれでもいいしそうじゃなくてもいいし、という懐の深さがある。別の言い方をするとメッセージやアティチュードが確信犯的に整理されていない。かといって「受け取り方は観客の自由」みたいな投げっぱ感もない。なんだろう、ホスピタリティは十分で居心地めっちゃいいんだけどよく見ると内装がぜんぶモアレパターンになってて一晩いると気が狂っちゃうホテルに泊まったみたいな感覚?(なんだそれ)
なんなんだろう。なんでこんなにおもしろいんですかねこの作品?
各エピソードの内容やその解釈についてとか、各人の演技の素晴らしさとか、SMAPから新しい地図に至る文脈としての意義とか、そういうことについてはいくらでも語れるし語りたい欲もあるにはある(そういうのならスマホのメモ帳に下書きたくさんしてる)んだけど、この作品について語るってことはなんかそういうことじゃない気もするし、じゃあこの作品の本質ってなんなんだろうと考えてみるんだけど、うーん。
というか、こういうふうに言える=よくわかんないんだけどすごいもの観ちゃったと素直に言える作品だったということこそが、この作品の美点だとも思う。
新しい地図の活動開始を報じる新聞広告の、真っ青な空に描かれた
M A P S
の文字を見たときに感じた気持ちを、本作を観て久々に思い出したんです。
なにか面白いことが起きるんじゃないか。
見たことのない景色に出会えるんじゃないか。
あのときの予感が、本作を観て(はじめて)実感となった気がした。
(はじめて)というのは、正直言うとこの実感は、『72時間テレビ』を観ても、『72』を聴いても、『新しい別の窓』を観てもついに感じることができなかったものだったから。
↑の活動になくて本作にあるもののひとつに、「自身がSMAPでなくなったこと」をはじめてネタにしちゃった、ということがあると思う。ネタにしたという言い方がアレなら言い換えます。SMAPでなくなったことをはじめてエンタテインメントとして昇華しちゃったのが本作なのではないかと。しかもそのアウトプットがこんなに刺激的でストレンジな表現だったという。
正直こんなことになるとは思ってなかった。
俺、新しい地図というものを、誤解してた。見くびってた。ナメてた。
もっとやさしくて、人懐こくて、すがすがしいものなのかと思ってた。
本作も、もっとものわかりがよくて、安全で、整ったものになってるんだと思ってた。
違うわ。全っっっっっっっっ然違うわー。
新しい地図とは、実際はもっとしたたかで、貪欲で、狡猾で、人を楽しませるためなら、エンタテインメントのためならきっと平気で魂も売るような、まさにクソ野郎の集まりだったのだ。そんな彼らのほんとうの意味での始まりとなる一手が、この『クソ野郎と美しき世界』なのだ。ひえー。
というわけで、2週間しか公開されないし少しでも販促になるものが書ければと思ってたのですがこの有様です(むしろ各論をちゃんと書いたほうがよかったのでは疑惑)。修行が足りなすぎる。精進します。でも繰り返すけど、いい意味で混乱しちゃうような作品を彼らが生み出してしまったことがなにより嬉しい。
筆が滑り続けてるいきおいで書きますけど、時間を巻き戻すことができないのが全人類共通の掟なら、生きている限り前に進むことができる可能性を持っているのは全人類共通の権利だ。SMAPが存在する世界が続いていたなら、本作は生まれなかったわけだけど、もしそういう世界が存在するとしたら、その世界は美しい世界だったのだろうか。俺は本作を観てやっと、もしかしたらSMAPがいなくなった世界を愛せるかもしれないと思えました。失うことは、終わりを意味するわけじゃないのだ。
多分観た人それぞれの脳内に全然違うメッセージが受信されてると思いますし、俺が幻覚または幻聴を受け取っている可能性も大大大×∞ですが、受け取っちゃったんだからしょうがない。俺が本作を通して新しい地図から受け取ったメッセージは以下です。
<俺らは好き勝手にやるぜ。てめーらも好き勝手にしろ。このクソ野郎ども。以上>
彼らにそう言われて俺は、新しい地図の表現に向き合う覚悟がやっとできました。