『burst! 危険なふたり』はなにが“危険”なのか~2015/5/4公演を見て | オーヤマサトシ ブログ

『burst! 危険なふたり』はなにが“危険”なのか~2015/5/4公演を見て

『burst! 危険なふたり』はなにが“危険”なのか

草彅剛と香取慎吾のふたり芝居『burst! 危険なふたり』を見てきた。
おもしろかった!
早くパンフ読みたいんだけど、その前にとりあえずの印象を走り書き。

素直な感想としては、決して手放しで満足はしていなかったりする。
だけどその「足りない感じ」は、すこぶる意義のあるものだった。





見る前の予想としては

「しんつよコンビの仲の良さやコンビネーションを最大限に活かした芝居」
「あえてふたりの関係性を排したストイックな芝居」

という2パターンを考えていた。
このふたつを両極として、そのあいだのグラデーションのどこをついてくるか、そういう仕上がりを想像していた。
で、結果としてその想像は軽々と覆されたのだった。


<手違いでテロリストから爆弾を仕掛けられた一般市民と爆弾処理のプロフェッショナルが時限爆弾の解除に挑む>
というワンシチュエーションの設定じたいはまあいいとして、ポイントはふたりの別の場所に置き、ふたりのコミュニケーションを電話での会話のみに限定したことだ。


舞台上にはふたつのセットがある。ひとつはソファが置かれたリビング、もうひとつはホワイトボードと机が置かれた会議室のような部屋。会議室にいる草彅が、リビングの香取に電話で呼びかけるところから物語は始まるのだが、基本この構図は最後まで変わらない。


ふたり芝居=舞台上にはふたりしかいないにも関わらず、ふたりの身体が触れうことはおろか、目が合うことすらない、それどころか常に観客側を見て芝居をしなければならない(ワンシーンだけ互いを見て芝居するシーンがあるけどあれは演出上ああなってるのであって、この舞台全体で見るとまったく無いと言っていい)

それでいて作品の内容はほぼふたりのやりとりだけで進んでいく会話劇という、俳優にめちゃめちゃ負荷をかける構成になっていた。

で、正直、俺個人としてもこの構成は最初戸惑った。
さっき書いた

>「しんつよコンビの仲の良さやコンビネーションを最大限に活かした芝居」
>「あえてふたりの関係性を排したストイックな芝居」

という予想は、方向性は違えどいずれもふたりが濃密に交わり合うことを期待していたからこそ浮かんだものだった。

しかし蓋を開けてみると、ふたりは全編にわたって目を合わせるどころか、同じフィールドに立つこともなく(それぞれの持ち場は最後まで固定されている)、しかも途中で役柄を入れ替え、最後まですれ違いを繰り返すのだった(とは言え濃密に絡んでいないわけでは決してなく、むしろより高度かつトリッキーで密度の高いコミュニケーションなんだけど)。
いろんな意味ですごいサディスティックな演出だったと思う。





香取は今回きっちり三谷ワールドを体現する演技に徹していたと思う。
三谷コメディとの相性は言うまでもなく抜群で、特に後半入れ替わってからは水を得た魚のようにノリノリ。
しかし足元はしっかり地面についてる感じがして、頼もしかった。

対する草彅は、ひと言で言うとすげー自由。
これだけ制限のある舞台にもかかわらず、あらゆるものから解き放たれてる感。
つか舞台の彼はこんなにすごかったのかとけっこう衝撃。
舞台を震わす声と、ラストシーンの彼の表情が忘れられない。

簡単に言うと「静の香取、動の草彅」って感じで、全然タイプが違う役者なんだと感じつつ、そんなふたりのコメディ(そう、この舞台はまさかの全編コメディなのだ!)を生でたっぷり観られるとは……改めてなんたる贅沢よ!

そういえばふたりの役柄だけど、入れ替わる前と後で微妙に人物造形が違ってる気がした。
そのへんは無理に合わせるのではなくそれぞれの個性を尊重してたのかなー。





冒頭で
「常に観客側を見て芝居をしなければならない」
って書いたけど、正確には観客を見てるわけじゃない。
あえて言うなら、どこも見ていない。


いや、もっと正確に言うと、ふたりは具体的に目を合わせることはないが、この作品でふたりは100分ものあいだ、やはりお互いを凝視しているのだと思う。


<相手に的確に物事を伝えるためには、正確な表現力が必要だ>
劇中にそんなようなセリフが出てくるけど、もうひとつ重要なことがあって、それは「相手のことを強く思うこと」だ。
トリッキーな構成だからこそ、ふたりのチームワークの良さが際立っていたことは言うまでもなく(息の合い方が尋常じゃない。なんであそこまでぴったりハマるんだ…)、なにしろ始まってから終わるまで、ふたりは互いのことをずっと考え続けているのだ。

常に相手の姿を想像しながらの会話劇は、このふたりだからこそ活きる設定なんだと思う。最初は戸惑ったけど、見終えて思うのは、これを書いた三谷幸喜のすごさと、これを成立させてしまう草彅剛と香取慎吾のすごさだ。





その他、思い出したことをつらつらと。

音楽よかったなー。基本、不穏で。セットもよかった。
コメディだけど、なんか不安な気分がずーっと通底してる舞台だった。
ラストシーンも意味深だし。あれをどう捉えるか、ひとによってずいぶん変わる気がする。
一緒に見た友だちのラストシーンの解釈は興味深かったなー。
あとキャパの小ささは色々言われていたけど、パルコ劇場の狭さでやる意味のある芝居だったのも事実。





最後に。
「この作品には手放しで満足してない」と書いたのは、このふたりにはもっとできることがあると思ったからだ。
贅沢言うのもアレだけど、この作品じゃまだ足りない。
もっともっと、いろんなふたりを見てみたい。し、ふたりにはもっとできることがあるだろーと思った。

変な話、三谷幸喜以外の作家の作品でもふたりを見てみたくなった。
それこそガツンと向きあうような芝居とかね(この舞台もガツンとぶつかり合ってはいるんだけど、イレギュラーな形式なので)

とは言え、草彅剛と香取慎吾による初のふたり芝居にこのホンを書いた三谷幸喜はいろんな意味ですごい。これってふたりを信用していないと書けないものだと思う。
今回いちばん危険だったのは、こういうホンを書いてしまった三谷その人だと思う。
一本とられた感。うーーんやられたーー。

草彅も香取も、自分たちから持ちかけた話とはいえ、ビビったんじゃないかなー。まさかこんな話が来るとは、とw
なんせあのふたりをもってしても、あくまで俺が見た感想でいうと、なんというか全然完成されてる感じがしなかったのだ。実はけっこうすごい格闘してるんじゃないかなーふたりとも。この作品を経て、草彅・香取が役者として何を得ていくのかも楽しみ。

そんなわけで、5月4日時点で、完成度はかなり高いものの、まだまだ未完成に思えたこの作品。
うーん最後にもう一度だけ贅沢言わせて。
もっかい見てえ!!!





オマケ・5月4日のカーテンコール(記憶は曖昧です)



剛「今日はGWなのにここを選んでくれて本当にありがとうございました。どうだった慎吾?」

慎吾「いやー本当にありがとうございました。GWなのにここを選んでくれて…(真似る)」

剛「今日昼に劇場入るときにGWで渋谷がすごい人出で、みんな楽しそうで、そんな中俺は舞台かと…」

慎吾「え…嫌々なの!?」

剛「いや違いますよ!? ただ、すごくいい天気なのにこんな室内で…」

慎吾「こんな室内!? パルコ劇場に謝れよ!!」





慎吾「他のメンバーはまだ見に来てないんですよ。来るのかな?」

剛「でもみんな気にしてますよね、特にふたり」

慎吾「中居正広と木村拓哉ね。ふたりとも別々に聞いてきたりしてね」

剛「(木村の真似で)『おう、いまどんな感じなの? まだそこまでしかいってねえのかよ』って、木村くん内容知らないのに何言ってんだろうと思ったけど」

慎吾「や、あれは、台本全部で何ページでいま何ページまで行ってるって話をしたからああ言ってたわけで…あーいないとこだと木村くんのことそういうふうに言うんだー」

剛「いや違いますよ! でも内心そう思ってたんだよね、木村くん内容知らないのにな…って」

慎吾「稲垣吾郎の話はあんま聞かないですけどね」

剛「でもパルコ劇場の大巨匠ですからね。吾郎さんとパルコ劇場って同い年なんだって」

慎吾「俺、ごろちゃんと一緒がよかったな…俺もうだめだよ、千秋楽までつよぽんとできない」

剛「何言ってんだよ! ちょっと待ってろ!」

~剛はける~

慎吾「俺つよぽんとできないよ…なんなんだよさっきのトークも全然噛み合わないし…明日からごろちゃんとやります!(客笑い&拍手)」

~剛ギターを持って登場~