「SMAP」と「素」の間をふにゃふにゃと行き来した、5人だけの旅
SMAP×SMAP「はじめてのSMAP5人旅スペシャル」を見た。
最っっっっっっっっっっっっっっっっっっっ高だった!!!!!!!!!!
とりあえず初見の感想をつらつらと。
先週のワッツで木村が今回の旅を振り返った中で「5人だけとはいえカメラが回ってるから、やっぱり本当の素ではない(例:不自然なまでにしゃべりまくる)」という主旨の発言をしてて、ああそりゃそうだよなあと思った。<中居・木村・稲垣・草彅・香取の旅>という個人が集まった(=プライベートの)旅ではなく、あくまで<SMAPとしての旅>になるのだろう、と。
しかし実際見終えた感想としては、あれだけプロフェッショナルな彼らでさえ、今回の旅はそう簡単に割り切れるものではなかったのかな、という(嬉しい)驚きだった。
木村が語ったように、「5人だけで一泊二日を過ごす」という経験したことのない「異空間」に放り込まれた5人は、多かれ少なかれ「この状況でどう振る舞えばSMAPとして成立するのかというボーダーライン」を探ったはずだ(言うまでもなく、この旅の模様はスマスマとして放送される=商品として流通することが決定しているのだから、エンタテイナーである5人がそれを考えないはずがない)。
しかし、あえて「素」を見せることが正しい判断となる場合もある。今回スタッフ側があえてカメラの存在を意識させず5人だけの空間を切り取ろうとした意図はまさにそこで、これまでカメラに映りこむことのなかったSMAPの「素」を求められているということも、当然彼らは痛いほどわかっていたはずだ。(そもそもアイドルという存在自体がドキュメンタリー的要素を多分に含んだ芸能なんだけど)
「5人がそこにいるだけでSMAPになる」。こう言うと聞こえはいいけど、実際はそんな簡単でも単純なことでもないだろう。結果的に今回の旅においてはメンバーの誰一人として、「SMAPという存在を顕示すること」と「あくまで個々人として素でいること」の折り合いをつけられていなかったように俺には見えた。というか5人が5人それぞれの判断で、「SMAP/個人」という境界をコントロールすることを放棄したのではないだろうか。今回カメラに映った5人の姿は、すごく不安定で不定形なものに見えたのだ。
それを象徴していたのが、温泉宿での木村拓哉の佇まいだった。彼はほぼ言葉らしい言葉を発しなかった。少なくとも世間に知られる「キムタク」としての発言や振る舞いはほとんど見られなかった。そのかわりに彼は、無邪気にゲームに興じる4人を後ろから見守り、泣き崩れる中居に優しく目線を投げかけ(そしてすぐ目をそらしたり)、なかなか寝ようとしないメンバーに「うるせえ!」と怒鳴ったりしていた。それはスマヲタにはお馴染みの「木村拓哉」の姿ではあったかもしれないが、今回の木村の姿は一般の視聴者にはどう映ったのだろうか。少なくとも自分はあの木村のありようには想像以上に心を動かされたし、俺の見たことのない木村拓哉の姿がそこにはあった(そしてもしかするともう二度と見ることがないんじゃないかという気すらする)。正直、あの夜の木村を見てると泣けて泣けてしょうがなかった。
「アイドルだって自分と同じ人間である。食事も排泄もセックスも、失敗も後悔も逡巡も、バカもアホも大笑いもする、自分と何も変わらないおんなじ人間なのだ」
俺がSMAPを見てていつも思うのはそういうことで、間違いなくスターでありながらそういうことを思わせてくれるから自分はSMAPのことをここまで好きになったのだ。んで今回「SMAP」と「素」の間をふにゃふにゃと行き来した5人だけの旅は、SMAPの持つ「身近さ」がこれまででもっとも鮮やかに記録されたものだったと思う。こういうのは意図的にやろうと思っても絶対できるもんじゃない。25年間のどの出来事が欠けても、あの時間は生まれなかったと断言できる。つまりこの旅が生まれたのは、まーーかなりダッサイ言い方になるけど、やっぱり「奇跡」なんだと思う。そんな奇跡の積み重ねによって、SMAPの世界はかたち作られている。そしてわたしたちの世界もまた、同じような奇跡によってできているのだ、きっと。