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これも今さらな話ですが。
SMAPの応援ソングといえば、ベタだけど『がんばりましょう』かな。





とかく何かを応援するというのは難しい。それを最も痛感したのが、高校1年の体育祭における応援合戦である。自他共に認める文科系だった自分が、ジャンケンで負けるという古典的な失態によって、応援団に入団させられた時のことだ。
応援団の練習は真夏に開始される。クーラーもない教室で学ランを着させられ、腰を落とし両手をブンブン振り回して「おーっせーっおーっせーっ、てぇやーーーーーーっ」など意味不明の呪文を叫び続ける、練習という名の修行のようなものを、夏休みの間も延々と行うのだ。そんな修行にバリ文系の自分が耐えられるはずもなく、秋になりいざ本番、さー応援しまっせー、という頃には、両腕回転チョップの腕前こそ上がれど、同じチームというだけで名前も知らない、どこぞの奴の100メートル走を心から応援しようという気持ちは、体育祭が終了するまでついに1ミリメートルたりとも生まれることはなかったのだった。

この話の結論は、何かを応援しようとする場合、応援の手段や形式よりも、応援する気持ちを持つことの方がよっぽど大事だ。ということなのだが、この話には大きな落とし穴があって、ここでは応援される側の気持ちが一切無視されているのである。
駅伝選手、または何でもいいけど何かの日本代表であるとか、そういうごくごく僅かの人間を除いて、人は応援されることに慣れていない。普段はできる子なのに、お客さんを前にすると緊張しちゃうんですようちの子~、というような文句を母親という人種はよく口にするが、あなたん家のお子さんは観客に緊張しているのではなく、往々にしてマーくん!! マーくん!! と必至に叫び続ける母親の気持ちのこもった応援、その重みに緊張・疲弊しているだけなのである。そういった応援という名の攻撃に耐えきった者だけが、メジャー・リーグで活躍したり宇宙飛行士になったりするのだ。

ところが音楽業界において、応援という概念は必ずしも攻撃に結びつくわけではない。それどころか、応援ソングなどといったジャンル分けをなされ、幅広くポピュラリティを得ていたりする。なぜ音楽にはそれが可能なのか。その答えは簡単で、お手軽だからである。生身の人間による本気の応援は、重い。仕事で3日残業が続き、うーんちょっと疲れたなあ、なんて時に、松岡修造から「頑張れもっとやれるって頑張れ頑張れ!!!!!!」と叫ばれても、正直重い。むしろ鬱陶しい。しかし音楽ならば、プチ疲れたらすぐ再生して癒され、鬱陶しければ消せばよし。あくまで軽く、ぬるく、丁度いいサイズの応援ソングは、疲れやすい現代人にとって、実に機能性に溢れた便利商品なのである。

しかし便利なものには必ず弊害がある。例えば電車に乗った途端、乗客から「頑張れよ、あとちょっとだ、大丈夫、未来は明るい、さ、進めえ!」などと言われても、はっきり言って馬鹿にされているとしか思えない。まあそんな状況は滅多にないのだが、コンビニやテレビCMなどの公共の場において、こちらの精神状態に関係なく、いきなり前述の応援ソングを聴かされると、どう考えても馬鹿にされている気がしてならないのである。こちとら3日どころか1ヶ月休みなしで働き詰め、明日はようやっと搾り取った休みである。晩酌は何にしよっかな、とりあえずビール、次にワイン、さらに梅酒、うーんお休み前だから呑みたい放題やで!!!! ってコンビニに滑り込んだ時に、やれ希望や、努力や、信頼や、友情や、おまけに愛や恋やといったポジティブ・ワードのオンパレードで応援をされる男の心情を想像してみてほしい。よりによってこんな時に、何が悲しくてどこの馬の骨とも分からん奴にいきなりヘラヘラ応援されなあかんねん。応援してほしい時に誰からも応援されないのも辛いが、こういう余計なお世話的な応援がいちばんイライラする。このやりきれない憤りの正体は、一言、「放っといてくれ」という切実な願いなのである。

RIP SLYMEの『STAIRS』という曲は、もう一歩前へ、もう一歩上へ、と、聴き手の向上心を煽る、まさに応援ソングに違いないのだが、凡百のそれと決定的に違うのは、彼らが“誰かを応援する自分”に酔っている様子が全く無いということだ。特にトラックの手触りはヒンヤリ冷たく、何というか孤独感すら感じるクールさである。後半で聴こえるコーラスというか合唱からは、それこそ応援ソングの常套句である“仲間”というキーワードを思い起こさせられるが、決して聴き手の心の中に不用意に踏み込みはしない。リリックもトラックも、一定の距離と節度を保ったところから発信されているように感じる(この距離感は、『STAIRS』に限らず、彼らの作品すべてに通底していることではあるけど)。それは、誰かをを応援することの難しさを正しく理解している彼らの、世の中に溢れる数多の応援ソングに対する批評であり、思わず「放っといてくれ」と叫んでしまう俺のような人間への、あたたかな心づかいのようにも感じるのである。『STAIRS』を聴くたび、俺の傷ついた魂は救済され、しかも明日を生きる勇気のようなものまで頂いてしまい、当分RIP SLYMEの5人に足を向けて眠れない日々が続くこと請け合いなのである。