【スマホも携帯も一部の人しか持ってない時代だと思ってください】

【持っててもポケベル・・。PHSは1998年頃らしい。】

 

26年前 1995年 平成7年

阪神大震災には特別な思いがある。

 

ボケが始まって思い出せなくなったら嫌なので経験談を書いておこう

 

会社に行こうと早朝準備している時、家が猛烈に揺れた。

木造の家のキシむ音のやばさから、1階に居る両親には「すぐ外に出るように」言った。

※実際、家屋の下敷きになってしまう被害が多かった。

 

この時わかったのは、遠くから「ゴゴゴゴ」という地鳴りがあって

その後むちゃくちゃな揺れ方をする。

※バカみたいに本の入った本棚を支えたが、圧死した人もいるので正しい判断じゃなかった。

※本棚の揺れどめ突っ張り棒は大事ですよ!!

 

その後、余震がおさまってきたので、電車に向かう。

ところが既に発車しているはずの始発電車は駅に止まったままだった。

アナウンスも主要駅で止まって安全点検中だという。

 

携帯なんぞ「トランシーバーサイズ」の時代、情報は正しく拡散されない。

いつものポケットラジオを聞くと神戸・大阪で大変な事態「らしい」との事。

なぜなら、朝がはやく真っ暗だったので、その全貌は分からなかったのです。

 

これは「電車が動かないと思いますよ」と、その辺の客と駅員さんに声をかけて改札出て家に戻った。

家から会社にかけたが繋がらない。

メールという手段も一般的じゃ無い世の中で社員同士の安否確認も取れない。

 

家に戻っても余震があり、当時おさなかった「甥っ子」が避難に家に来ていた。

そりゃ怖くて泣くよね。幼児の避難、授乳問題など「難しさ」を強く感じた。

 

冬の空が明るくなり、TVのヘリコプターが飛び現地の映像が入って唖然とした。

家がひしゃげ、火事が発生し、すごい炎と煙が上がっている。

「戦争」だよ・・・変わらない・・・

 

普段会社へ2時間かけて出社してるのに

さて、明日はどうやって会社へ行く方法があるのだろうか・・

今のところ、自宅は余震はあるといえ、耐えてるわけで

会社そのものがどうなっているのか、みんな無事なのかが気になる。

 

夕方、ようやく友人と電話が繋がった。

少なくとも4人の無事は確認できた。

 

明日乗合で2台の車に分乗してボクを拾って会社に行ってくれるとの事。

友人はトランシーバーを持ってきてくれて1号車と2号車間でくだらないネタを繰り返し

退屈をしのいでくれた・・・

 

 

そう、大阪に近づくにつれて車が大行列、全く進まなくなったのだ。

みんな同じ気分で大阪に向かっていたんだろう。

 

そして、あの「ぶっ倒れた高速道路」も見た。

「なんでこんな大きい物が倒れた??」

「デカすぎて直せないんじゃ?」

という疑問しかない。

 

そんなこんなで、早朝に出て夕方に会社に着いて・・・驚いた。

入り口の大きなガラスエントランスは粉々に砕けていた。

 

自分の作業場は「パソコンが机から滑り落ちて」しまっていた。

業務用の白い机はツルツルで何でも滑ってしまい、机の上には何も無くなっていた。

 

ブラウン管のモニタが砲丸投げの様に飛んでいき、繋がったケーブルのまま

PC本体があとから着いて放り投げられたのだ。

ケーブルがネジを残したまま千切れたり、ネジに圧が掛かって抜けなくなったりした。

 

落下してPCのケースがぶつかって歪み、分解さえできない・・

この時レザーマンのラジオペンチ機能がめちゃ助かった。

箱開けてネジ締めてケーブル切って・・ずーっとレザーマンで作業してた。

 

 

 

 

 

 

マルチビットが使える奴が必須です。

細いドライバーから六角レンチまで用途が広くてホントに助かりました。

便利さが段違い。

山の中でドライバー?六角レンチ?と思うかも知れませんが街中での用途は「ノコギリよりも多い」ですよ。

 

 

部屋のガラスが割れているので、ガラスの収集には「革手袋」と「ほうき・ちりとり」は活躍した。

特に綿の軍手はトゲや破片の多い場所では危険。 作業用革手袋は絶対必要。

しかし仕事場に革手袋なんてまず無いよね

 

 

 

 

会社の近くに住んでる人は、住んでる家をどうにかしないとダメなので早退していく。

残ったボクたちが整理を続けるしかない。

 

そんななか、今、1番ニュースで1番燃えてる箇所に連絡つかない2名が居るらしいのだ・・・

携帯なんてありゃしないので、ずーーーーっと連絡が取れない

つづく