ワレ イマダ モッケイ タリエズ
皆さんこんにちは。小田原きよしです。
日付が変わってしまいましたが5月23日は私の46歳の誕生日です。
今日は、私の座右の銘と尊敬する人物についてお話したいと思います。
私のリーフレットには尊敬する人物:『双葉山』と書いてあります。
双葉山が単に私の生まれ故郷宇佐市の出身の大横綱だからではありません。
私が座右の銘にしている「我いまだ木鶏たりえず」を打電したのが双葉山だったからです。
双葉山は10代のころ、木鶏という故事成語を師匠に教わりました。
ざっとこんな話です。
紀渻子というものが、王の命令で、軍鶏(しゃも)を訓練することになった。
10日後、王が「もう戦えるか」と尋ねると
「まだまだです。むやみにやる気をみせているだけです。」
さらに10日後尋ねると、
「まだです。ほかの軍鶏の声や姿にいきりたっています」
さらに10日後は「まだです。相手をにらみつけ闘志を見せます」
そして、さらに10日後、ようやく
「やっとものになってきました。他の軍鶏が声をあげても動じません。まるで木彫りの軍鶏のようです。他の軍鶏は背を向けて逃げ出すでしょう」
とこたえた、という話です。
若き日の双葉山はその話を聞いていたく感激し、勝負に生きるものは常にこうありたいと考え、稽古に励んだということです。
彼は年に2場所しかなかった時代に69連勝を成し遂げ、その記録は今でも破られていません。
その後も30連勝以上を二度記録した大横綱であります。
その双葉山が70連勝を阻まれたときに、「私は木で彫った鶏にもいたらない」と師匠に打電したのです。
船上にいた師匠は今日のブログの標題に書いたカタカナの電報を受け取り、何が起きたのかを悟ったそうです。
私はこのエピソードを20代だったころ、海外赴任中に知り、年齢としては双葉山に10年遅れて、男たるものこのように生きたいと思ってきました。
本当に「木鶏」の境地に達した人は今の段階でこんなことはいわないのかもしれませんが、
小田原きよし、今日から46歳。皆のためになる人間になれるよう、精進を続けます。
※写真1 往時の双葉山(宇佐・双葉の里で撮影)
※写真2 双葉の里スタッフの皆様と家内