自分の「卒業」の話をしよう。(1) | 音楽工房「六畳ラボラトリ」

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広島の男女ツインボーカルユニット「万貴音(まきね)」代表、
半体育会系器用貧乏音楽人「小田貴音(おだたかね)」のブログ。

月も変わったので、ここいらで書き残していこう。

 

 

 

今年の2/17に、生まれて初めて実家を離れ、

一人暮らしを始めました。

https://ameblo.jp/odatakane/entry-12353723317.html

ざっと報告したんだったね。

 

さらに振り返ってみる。

アルバイトを辞めて、音楽の仕事だけで生活し始めたのが、

ちょうど30歳になる年。

http://d.hatena.ne.jp/mmwodachin/20120317/p1

前のブログが残ってました。笑

今と変わらず、もったいつけた文章だなあ。

でも考え方は今とあんまり変わってないね。

 

 

 

実際に、そこから今に至るまで、

音楽の仕事のみで生計を立ててきました。

別にこれが格好いいわけでもないんですが、

とにかくそうやって、毎日暮らしていたわけです。

 

ただ、これには注釈があって。

それは「実家にいたから何とか生きられた」ということ。

華麗なる日常、ではないわけだ。

 

 

 

生きていくのには、生きていくのに必要なだけの、

お金を稼ぐ必要があります。

 

 

 

自分のやり方がどうだったか、というのも多分にありますが、

なかなか安定は望めない業種だと思います。

というか、事実自分がそうだったということですね。

 

寝る時間を逆算するぐらい仕事が重なる時期もあれば、

制作もステージも少ない時期もあったりして、

その振れ幅たるや、、という数年間。

実家暮らしでも家賃を入れていたんですが、

ちゃんと払えないような時期もちょいちょいありました。

 

実家で暮らしてたから、目をつぶってもらったり、

それでもご飯を食べられたりしたわけです。

 

 

 

ただ、そのままでいいわけがない。

自らに感じる劣等感や敗北感と同時に、

「社会人としてそれはどうなんだ」というのが、

家族も自分に対して感じていたことでもあって。

 

去年、自分の生誕祭を終えた夏の終わりあたりに、

家族と話し合いの時間を設けまして、

自分の生き方について、互いに思っていることを交換しました。

 

ノンフィクションで書いておくと、

「もうその仕事で生きていくのは、無理なんじゃないか?」

という提言。

 

薄々分かってはいたけれど、一度「殺された」ような

衝撃を甘受するしかない現実を頭に置きながら、

「一人暮らし」という現在に至る道が、作られ始めました。

 

 

 

続く。