ちょうど六年前、子供の頃に育った町が津波で流されました。
中学の部活で、かつて一緒に稽古に励んでいた友人も、亡くなりました。
なんでこうなるのか。
宮城県の石巻。小学校の時に転校してきたこの町が、大嫌いでした。
まず、言葉が違うし気候や風土も違います。人の気質も違うし、なかなか馴染めずにいて、高校を卒業したらさっさとおさらばした町です。
振り返ってみると、馴染めなかったのは、自分から馴染もうとしなかったから。
ところが震災が起こり、甚大な被害を知ると、急に石巻で育ったことを意識しだすのです。
ずいぶん勝手だと思います。何を今さら、と。
震災が起きた年の夏。二十年ぶりに石巻の土を踏みました。ぐちゃぐちゃでした。
言い表せない光景が、未だ頭の中にはっきり広がります。
被災した友人たちに会い、酒の席でいろんな話を聞きました。それは、被災者の本音と個人単位の現実です。
これは、世間一般には知らされておらず、なかなか聞かれますまい。
友人たちからすれば、よそ者かもしれない私。されど一緒にこの町で育った仲間。だから、話してくれたのだと思います。
支援したいという方の気持ちも分かるし、被災者の本音も分かる。
アンビバレントな状況に投げ込まれた私は、自分でもはっきり自覚していますけれど、しばらく心の平衡を欠きました。
震災に関しては、今もそうかもしれません。
皆さんには、なかなか分かってもらえますまい。
一年に一度。今日という日が近づくと、心を閉ざしたくなります。これまでは、無理にでも開けてきましたが、今年はそれをやめました。
それが体調にまで影響したのか、一昨日から発熱で寝込んでいます。
これは、大人しくしておくようにという、身体からのメッセージでしょう。
気持ちのやり場が、未だ見つかりません。